第六話　それぞれの旅立ち

　とある街の郊外にある館の一室に一人の老人を囲んで六人の男女が立っていた。六人の構成は男性が四人に女性が二人である。
　二人の女性は共に魔道士という風貌であり、しかも彼女たちは姉妹であった。姉の名はシーナ・フィーナス、黄金色の髪を持つ神官である。妹の名はクリスティーナ・フィーナス、栗色の髪を持つ魔道士であった。神官は現在では魔法を扱える者としては最上位の称号であり、魔道士よりも遥かに難易度の高い魔法を行使することができた。しかし、それは単に彼女たちが魔道士としての経験を積んできた時間の差でしかなく、二人の魔道士としての潜在能力に大きな違いはなかった。
　彼女たちが生まれたフィーナス家は大陸でその名を知らぬ者がいないほどの名家で、この一族はそのすぐれた魔道に対する適性でその名を馳せているのである。
　一方、四人の男性のうち、一人だけは剣士ではなく魔道士のように見えた。青白い肌に白銀の髪、学者と呼んでもいいような風貌の男で、名はカルティス・ムーンと言う。彼らが囲んでいる老人、大陸に四人しかいない大魔法使いの一人であるフィアス・クレイハウントに師事する魔道士で、その実力はフィアスも認めているほどである。
　残る男性三人は明らかに剣士で腰や背中から剣を下げていた。一人は大柄な筋肉質の男で、いかにも歴戦の勇者という風貌である。名をティル・ガーランドと言い、カルティス・ムーンのガード、いわゆる護衛を務めている男であった。
　そのガーランドの横にいるのがロナルド・フォスターである。ガーランドと同じくムーンのガードを務めている男で、ガーランドと比べると明らかに小柄ではあったが身体能力は非常に高く、攻撃速度においてはガーランドも一目置いている人物であった。
　そして最後の剣士がエイドリアン・グリードである。彼はシーナとクリス姉妹のガードを務めている。同時に二人の魔道士のガードをするというのはまさに異例ではあったが、そのことだけでも彼の剣の実力を推し量ることができよう。
　今、そのエイドリアンが彼の正面に座っている老人、大魔法使いフィアス・クレイハウントに話しかけていた。

　「俺の祖父にそのような過去があったなんて…。今までまったく知りませんでした。」
　「すまぬな、エイドリアン。話が少し長くなってしまったようじゃ。じゃが、この話を聞かせたくなかったというお主の両親の気持ちも分かってやってほしい…。」
　「はい、それは承知しております。仮に私が両親の立場だったとしても、やはり同じようにしたと思いますから…。」

　三人の剣士の中ではもっとも若く見えるエイドリアンという男は、これまで知ることができなかった祖父フレデリックの死に関する真実を、まさに思わぬところからと言ってもいいだろう、目前の老人、大魔法使いフィアス・クレイハウントから聞かされたことで、さすがに驚きを隠せない様子であった。
　そしてエイドリアンはフィアス・クレイハウントからの願い、必ず生きてここへ帰ってくると言うことに対して次のように返答した。

　「フィアス・クレイハウント様、必ずとお約束することはできませんが、この中の誰一人として欠けることなく再びここへ戻ってくることができるよう全力を尽くします。」
　「…本当にすまぬ。本来ならわし自ら出向かねばならんのじゃが、もはや今のわしではル・アークに対抗することはできんじゃろう…。」
　「何をおっしゃるのですか、決してそのようなことは…。」
　「構わぬ、エイドリアンよ…。よいか、これだけは覚えておくがよい。魔法を発動させる精神力とは決して無限に存在しているものではない。魔法を連続して使ったり歳を重ねていくことで徐々に減っていくものなのじゃ。それはわしやル・アークとて例外ではない。お主たちの勝機は、まさにそのあたりにあるのじゃろう。」
　「…はい。ご助言ありがとうございます。」

　エイドリアンがそう言った時、これまで後ろで二人の話を聞いていた魔道士の男、カルティス・ムーンが前に歩み出た。青白い肌に白銀に輝く髪…一見して学者という風貌のこの男は、大魔法使いフィアス・クレイハウントが目を掛けている魔道士の一人であった。

　「…それでは、我々は明日にでもここを発ち、ル・アークのいる古城を目指したいと思います。」
　「ムーンよ、そう慌てて行動するものではないぞ…。」
　「は？それはどういうことでしょうか、クレイハウント様。」
　「よく聞くがいい…。残念ながら今のお前たちの力では到底ル・アークに対抗することはできぬ。六人全員が力を合わせて初めて何とか互角に戦えるという程度じゃ…。万が一、誰か一人でも倒れるようなことがあれば、その瞬間にわしらの願いは永遠に叶わぬものとなってしまうじゃろう。」

　フィアス・クレイハウントの言葉にムーンは返す言葉がなかった。確かにフィアスの言うことは正しいのだろう。実際、ムーンは命を捨ててル・アークと刺し違える覚悟でいたのである…。

　「かと言ってわしもこの歳じゃ、もうお前たちの力にはなることはできんじゃろう。」
　「いえ、決してそのようなことは…。」
　「いや、カルティスよ、わしは事実を正直に言ったまでじゃ…。時には情を捨て事実を客観的に判断するということも忘れてはならぬぞ。」
　「…はい。」

　そしてフィアスは一呼吸おいてから次のように話し出した。

　「ムーンよ、お主には大魔法使いの称号を取れる力があるとわしは思っておる。じゃが今は一つの壁にぶつかってさらなる成長ができずにいるように見えるのじゃ…。今こそ行くがよい…かつてわしらも通った最高難度への階段をな。そして魔道士と大魔法使いとの違いが何であるのかをその身体に刻み込んでくるのじゃ。」
　「…わ、私がですか？」
　「そうじゃ。」

　そう言うとフィアスはエイドリアンの方を向いて彼にムーンのガードを依頼した。

　「エイドリアン、すまぬがその際にはカルティスのガードを務めてやってはくれんか。」
　「…わ、私のような者でも構わないのですか？それにムーンにはガーランドとフォスターの二人が…。」

　そのエイドリアンの質問にはフィアスではなく、ガーランドが答えた。

　「俺も本来ならそうしたいんだが、ル・アークとの戦いに向けてやっておきたいことがあるんでな。…どうやら、フィアス・クレイハウント様にはお見通しのようですが。」
　「やっておきたいこと？」
　「あぁ、もう一人の大魔法使い、カイゼル・ヴィンス様のところへ行く。」
　「カイゼル・ヴィンス様！ガーランドはあの方を知っているのか？」
　「あぁ、そうだ。そもそも俺が持っているこの剣はカイゼル・ヴィンス様によってエンチャント（魔力付与）されたものだ。ル・アークと戦うためには万全の状態にしておきたいのでな…。」

　ガーランドは背中に下げている大剣を触りながらそう言った。フォスターもガーランドに同行するということだったので、エイドリアンはフィアスの依頼を承諾し一時的にカルティス・ムーンのガードを務めることになった。

　「大魔法使いへの修行に同行できるガードは一人のみ…お主の祖父フレデリック・グリードもわしに同行してくれたガードじゃった。大魔法使いとは一人の魔道士に与えられる称号ではない。魔道士とガードのペアが完全な力を発揮できた時に初めて得ることができるものなのじゃ…。」

　フィアスの言葉にエイドリアンは全身が引き締まるような思いだった。つい先日までは考えもしなかったような変化が自分の周りで起ころうとしている。もし運命と言うのもが存在するのであれば、ムーンたちとの出会いはまさに運命の出会いであったと言えただろう。

　「分かりました…微力ながらもムーンのガードを務めさせていただきます。」
　「さて、ここまでは決まったが…そっちの二人はどうする？」

　そう言ったのはフォスターで、二人とはもちろんシーナ、クリスの姉妹のことである。
　あまりに急激な状況の変化にただ呆然と聞いていたクリス・フィーナスに対して姉のシーナ・フィーナスは静かにこう言った。

　「クリス…ガーランドやフォスターについてカイゼル・ヴィンス様に会ってきなさい。フィアス・クレイハウント様にカイゼル・ヴィンス様…二人の大魔法使いに会うことは決してあなたの無駄にはならないと思うわ。」
　「それはいいけど…姉さんはどうするの？」
　「私はここに残ってみんなの帰りを待つわ。その間にフィアス・クレイハウント様にいろいろ教えていただこうと思うの。」
　「それじゃあ、私もここに…。」

　そう言いかけたクリスであったが、シーナの目を見た瞬間に続く言葉が出なくなった。決して怒っている目ではない、しかし強い決意を感じる目だったのだ。

　「クリスティーナ…今のあなたに必要なのはより多くの経験です。いろいろな所を旅して多くの経験をしてらっしゃい。そして私がいない状況でも自ら判断して行動できるようにおなりなさい。」

シーナが妹をクリスという愛称ではなくクリスティーナと本名で呼びかける場合は、これまで常にクリスにとって大切なことを言う場合に限られていた。クリスもそのことを良く知っていたので、それに逆らったりするようなことはしなかった。
　姉が自分に対して何を望んでいるのか。そして自分がどう行動することで姉や他の仲間たちにとって有益になるのか…そう考えたクリスの決断は早かった。

　「…分かったわ、姉さん。私、カイゼル・ヴィンス様のところへ行ってきます。そして一つでも多くのことを学んできます。」
　「分かってくれてありがとう、クリス…。そしてガーランド、フォスター…すみませんが、妹を、クリスをよろしくお願いします。」
　「おぅ、まかせておいてくれ、クリスは…」

　そこまで言ったフォスターであったが、突然ガーランドに腕をつかまれて後ろへ引き戻された。

　「お前が言うと全然緊張感が感じられないから少し黙っていろ。…クリスについては了解した。必ず無事にここへ連れて戻ってくることを約束する。」
　「ありがとう、ガーランド…そしてフォスター。」

　そう言って小さく微笑んだシーナの前には少しふてくされたフォスターの姿があった。

　その夜、ムーンたちはフィアスより与えられた寝室で出発前の最後の休息を取ることになった。明日から二人での旅となるムーンとエイドリアンは同じ部屋に入り、出発の準備を整えていた。

　「なぁ、ムーン…。」

　部屋に入ってしばらくは黙って剣を磨いていたエイドリアンであったが、やがてそのように口を開いた。
　ムーンはベッドの上に座りフィアスより借りた魔道書を読んでいたのだが、それを中断してエイドリアンの方を向いた。

　「何ですか、エイドリアン。…それと私のことはカルティスと呼んでくれてもいいですよ。」
　「ん…あぁ、すまない。ムーンと呼び慣れてしまったんでな。」
　「まぁ、それについてはエイドリアンの好きなようにしてください。それで、私に何の用ですか？」
　「いや、そんな大したことではないんだが…。」

　エイドリアンは今日フィアスにムーンのガードを依頼されてからずっと考えていたことをムーンに聞いてみた。
　エイドリアンの祖父であるフレデリック・グリードは、フィアス・クレイハウントが大魔法使いになった時のガードである。今回、カルティス・ムーンがそれと同じ道を行こうとしている。そして、そのガードをするのが他ならぬ自分なのである。果たして自分に祖父と同等な、もしくはそれを超える力があるのだろうか、と。

　「そんなことを気にしていたのですか、エイドリアン。大丈夫ですよ、あなたならね…。」
　「そう言ってくれるのは嬉しいんだが、実際のところはどうなんだろうとそればかりが気になってな…。」
　「それに関しては安心してください。今回、私たちが向かうのは戦場ではありませんから。それに一番大切なことはフィアス様もおっしゃっていたように、お互いの信頼関係を築くことですよ。」
　「…そうだな。すまなかった、ムーン。つまらないことで時間を取らせてしまって。」
　「構いませんよ。それより明日は早いですから、エイドリアンもそろそろ休んでくださいね。」
　「あぁ、そうさせてもらうよ。」

　しばらくするとエイドリアンは眠りについたようで小さな寝息が聞こえてきた。今日は大魔法使いを前にして緊張の連続であっただろうし、ここは野外ではなく多くの仲間たちがいる建物の中だという安心感がそうさせたのだろう。そのエイドリアンの寝顔を見て小さく微笑んだムーンは小さくつぶやいた。

　「大丈夫ですよ、エイドリアン…あなたならね。初めて会った時からもしかしたらこうなるのではないかと予感していました。あなたにとって私たちとの出会いはまさに運命の出会いであったかもしれません…。しかしそれは私にとっても同じなのです。ル・アークを倒すために必要な条件を満たす最後の一片…それはあなただったのかもしれませんね。こうして出会えたことを私は本当に嬉しく思っています。ですが…。」

　そうしてムーンは小さく深呼吸をした。その顔からは先ほどの微笑みは消え、真剣な顔つきへと変わっていた。

　「これから私たちの向かう先は確かに戦場ではありません…。しかし平穏な地でないのも間違いない事実です。私が大魔法使いへの階段を登るのと同じように、あなたも大魔法使いのガードたるセイクリッド・ガードへの階段を登らなくてはならないのです…。そして、どちらか一人でもそれに失敗した時は…。」

　やがてムーンも深い眠りへと落ちていった。彼らが新たな大魔法使いとセイクリッド・ガードとなってその名を歴史に刻むことになるのか、それはまだ分からない。

　そして東の空が漆黒の闇から薄紫色へと変わっていく頃、ムーンたち一行は二手に別れてフィアスの館を旅立っていく。新たな力を得てル・アークと対抗できるようになるために…。