第七話　新たなる敵

　剣士エイドリアン・グリードと魔道士カルティス・ムーンの二人は大魔法使いフィアス・クレイハウントより指示された方角、北に向かって歩き出そうとしていた。
　だが、クレイハウントの屋敷を出て数歩進んだところでエイドリアンは周囲の変化に気がついた。エイドリアンはしばらく周囲を見回し、そして最後に空を見上げながらこう言った。

　「おい、ムーン。…雨が止んでいるぞ。」
　「はい、実は今朝の日の出の少し前にこれまで降り続いていた雨がようやく止んだようです。私が目を覚ました時に山の向こうに太陽が昇ってくるのを見ましたから間違いないと思います。」
　「先日聞いた話ではこの雨もル・アークの仕業だと言っていたが…。するとこの突然止んだ雨にも何か意味があるってことなのか？」
　「えぇ、そう考えるべきでしょうね。もう雨を降らせる必要がなくなったのか、もしくはどうしても雨を止ませる必要があったのか…。今の段階ではどちらの理由であるかという判断はできかねますが…。」
　「もしかするとすんなり目的地へは行かせてもらえない可能性だってあるということか…。」
　「はい、それなりの覚悟はしておいた方が良さそうですね。」

　ムーンは何の迷いもないようにそう答えた。まるで自分たちを倒すためにル・アークが雨を止ませたのだという確信があるかのように…。そのことが少し気になったエイドリアンではあるが、そうなった場合は自分がムーンを守るだけだと言い聞かせることにした。少なくともこの旅の間、エイドリアンはムーンのガードを務めることになるのだから…。
　ガード…。魔道士が発現させる数々の強大な力である魔法…その魔法を発現させるまでの催眠状態にある魔道士を守るのがガードと呼ばれる者の仕事である。魔法の発現には長い呪文と唱える必要があり、その長さは魔法の威力に比例して長くなっていく。その間、ガードは自分の身だけでなく、まったく動くことのない魔道士をも守る必要があるのだ。無論、並の剣士にはできない芸当で、優れた能力を持つ限られた者しかガードという職は務まらないのである。

　「そう言えばガーランドたちはまだ出発してないのかい？」
　「いいえ、ガーランドたちはまだ暗いうちに出発したようです。彼らの目的地は私たちがこれから向かうところより遠いですから。」
　「そうか…。じゃあ俺たちもそろそろ出発するか。」
　「そうですね。さぁ、行きましょう、エイドリアン…。」

　こうして旅立っていく二人を彼らがそれまでいた屋敷の二階から見つめる目があった。先日まで彼らと共に旅を続けていた神官、シーナ・フィーナスである。彼女は彼ら二人の後ろ姿を眺めながらこの数日間に彼女たちの回りで起こった数々の出来事を思い返していた。
　最初は突如姿を消してしまった兄、メル・フィーナスを探すための旅だったはずである。兄の消息を追っている途中でムーンたちと出会い、兄の手ががりがつかめそうだと言うことでこの屋敷にたどり着いたのだ。そしてこの屋敷に来ていたのは確かに探し求めた兄であった。しかし、それが結果として大魔法使い同士の戦いに巻き込まれてしまうことになるとは…。本当に数日前までは考えてもいなかったことであった。

　「…どうした。やはり心配そうじゃな？」

　遠くへ去るに従って姿が小さくなっていく二人を窓から見ていたシーナに声をかけたのは、この大陸を代表する大魔法使いの一人、フィアス・クレイハウントであった。

　「い、いえ…決してそのようなことは…。」
　「…よい。それよりお主たちまで巻き込むことになって本当に申し訳なく思っておる。」

　フィアスも窓際へ近づき、小さくなっていく二人の後ろ姿に目をやった。そこに遠い昔、自分と自分を守ったエイドリアンの祖父、フレデリックの姿を重ねながら…。

　「フィアス様…。」

　ふいにシーナがフィアスに話し掛けた。フィアスは何も言わない。それはまるでシーナが次に発する言葉を待っているかのようであった。シーナもまるで独り言のように話を続けていく。

　「私たちは本当に勝つことができるのでしょうか…大魔法使いであるル・アーク様に。」
　「やはりそなたでもそう思うのか…フィーナスの血を継ぐ者よ。」

　フィーナスという名…この名を知らない者はこの大陸にはいないと言っても良いほどの名家である。またこの大陸において人類が手にした新しい力、魔法を発見した偉大なる者の名でもあり、その後もこの血筋からは優秀な魔道士が数多く輩出されているのだ。
　今ここにいるシーナ・フィーナスもこのフィーナス家の生まれで、一族の中でも歴代の魔道士に勝るとも劣らない能力の持ち主と言われていた。
　それほどの力を持つ魔道士−彼女の場合はさらに上級の称号である神官になるのだが−であっても恐れる存在、それが大魔法使いと呼ばれる者たちであったのだ。
　だが、フィアスの答えはシーナが想像していたものとは少し違っていた。

　「そなたがそう思うのも仕方なかろう。…じゃがな、わしは大魔法使いの称号自体は決して絶対的なものではないと思っておる。大魔法使いなど、あくまでそれぞれの時代における称号に過ぎないのじゃ…。」
　「…ですが。」
　「今この大陸にわしやル・アークと魔力での力比べをした者はおるかのぉ…いや、現実には誰もおらんのじゃ。実際にやってみれば圧倒的かもしれんが、意外と拮抗するやもしれん…。わしらの大魔法使いという称号はそれが与えられた時、その時代で最高の力を持っていたというに過ぎない。わしがこの称号を得た時、そなたやムーンはいなかった…違うかね？」
　「確かにそうですが…。」
　「我々の言う強さとはあくまでその時代における相対的なものであって、決していつの時代でも通用する絶対的なものではないのじゃ。」

　それはフィアスの偽らざる気持ちであった。かつては魔法使いの頂点にいた自分が今も同じ場所にいるのであろうかという不安。自らに仕えてくれているムーンはすでに自分を超えているのではないだろうかと以前からずっと考えていた。それが今回ムーンに大魔法使いの称号を取るように勧めた理由のひとつであるのは間違いなかった。
　そしてそれはまた彼らにル・アークを倒せる可能性があると思える根拠のひとつでもあったのだ。

　場所は変わって、ここはとある湖の岸に立つ古城。この城は先日ロナルド・フォスターが発見したもので、現在は彼らが長い間探し続けていた大魔法使い、ル・アークの居城となっている。
　フォスターがこの城を見つけた時には数日に渡って降り続いていた雨によって霞の中にそのシルエットを浮かび上がらせていた程度であったが、今はその雨も止んではっきりとその姿を捉えられるようになっていた。
　この城の奥まったところにある一室、周囲を壁で囲まれて外からの光はなく、壁に備え付けられているろうそくのほのかな明かりだけが部屋の中を照らしていた。
　そこには二人の姿があり、一人は初老の男、もう一人もそれほど若くはない男であった。二人ともローブを身にまとっており、魔法使いであると思われた。

　「お呼びですか、ル・アーク様…。」
　「うむ…すでに気づいておろうが、お前の望み通り雨雲は消しておいたぞ。そちらの準備は整っておるのか？」
　「ご面倒をおかけして申し訳ありませぬ。こちらの準備も完了し、すぐにでも出立できるようになっております。」
　「しかし、お前もカスタイト卿も些細なことを気にする…。奴らなぞわしらが気にするほどのものではないと思うのじゃが…。」

　そう言った初老の男、大魔法使いル・アークは目の前に立つ男に目をやった。この男の名はロザ・ルシア…こちらも大陸が誇る四大魔法使いの一人として知られている男である。魔道大戦が始まる前にル・アークと共に姿を消した大魔法使いは今なおル・アークに仕えているのである。
　ロザ・ルシアは四人の大魔法使いの中でもっとも若く、それためか彼らの中ではもっとも好戦的だと言われている。なので攻撃系の魔法に関して言えば四人の中で最高のレベルにあった。あの魔道大戦において、もし彼が人類側にいれば大戦はもう少し早く終結していたかもしれないという者も多い。だが、彼は人間側ではなくル・アークと共に魔物の側について人類の敵として現れたのである。その真意を知る者は彼とル・アークの他には誰いない…。
　そのロザ・ルシアが気にしていることとは言うまでもない、大魔法使いフィアス・クレイハウントと彼に連なる者の動向である。

　「相手は確かにフィアス・クレイハウントではありません…しかし、少なくとも彼の信任が厚い者であることは間違いないと考えます。油断していると思わぬところで足をすくわれかねませんぞ。」
　「…わかった、もう何も言わぬ。お前の好きなようにやってみるがいい。」
　「はっ。」
　「しかし、フィアスもなぜわしのしていることに気づかんのじゃ…。」
　「ル・アーク様…、それはさすがのフィアス・クレイハウントにも無理というものでしょう。我らのやっていることの真意はあれを見てしまった者にしか分かりますまい…。」
　「…そうじゃな。確かにそうかもしれん。」

　ル・アークのその言葉を聞き終えた後、ロザ・ルシアは軽く会釈をして部屋を出ていった。部屋に一人残ったル・アークは小さくつぶやいた。

　「わしのしていることに気づくことができなければ、いずれはお主とわしが戦わねばならん時が来るかもしれんのじゃぞ…わかっているのか、フィアスよ。」

　フィアスの部屋を出たところでロザ・ルシアは立っていた。フィアスの部屋の扉からまっすぐ伸びる暗い廊下の両側に四人の気配があった。その姿は暗さのために認めることはできなかったが多少でも魔法に心得のある者には彼ら四人がすべて魔法の使い手であることは容易に察することができたであろう。

　「ル・アーク様のお許しが出た。かねてよりの手はず通り各々出立せよ。」

　ロザ・ルシアがそう言うと四人の気配はその場から静かに消えていった。それを確認してからロザ・ルシアは目の前に伸びる廊下を歩き始めた。
　そこから少し進めば廊下には外からの明かりが届くようになる。その廊下は大きな広間へと通じていたのだ。広間へ出たロザ・ルシアは不意に背後に気配を感じて慌てて振り向いた。そこに立っていたのは一人の若い剣士風の男であった。

　「…クウォール・カスタイトか。相変わらず見事な気配の消し方だな…こうも易々とわしの背後を奪うとは。」
　「ロザ・ルシア殿、ル・アーク様にどのようなご用だったのですか？」
　「卿と同じじゃよ。邪魔な鼠を退治する許可をいただいただけじゃ…。」
　「なるほど、その任務は私ではなくあなたが担当するということか。」
　「そう言うな。卿には他にもやらねばならんことがあるだろう。そちらを優先せよということじゃよ。奴らのことはわしに任せておけばよい…。」
　「そうですな。ではそのお手並みを拝見させていただきましょうか。」
　「ふん、少し棘のある言いようだが、まぁよい。そう言えば奴はここにおらんようだが、何をしておるのじゃ？」
　「…フォレス卿のことですか？」
　「そうじゃ。」
　「さて、今どこにいるのかは分かりかねますが、フォレス卿の望みも我らと同じでしょう。先日、もし私が失敗するようなことになれば次は俺がやると言われておりましたが、あなたがその担当になると言うことはフォレス卿はあなたの失敗をどこかで望んでおるやもしれませんな。」
　「…好きにするがよいわ。奴に会ったら言っておけ。いくら待ってもお前の出番はないとな。」

　そう言い捨てるとロザ・ルシアは広間の反対側にある扉に向かって歩いていった。クウォール・カスタイトはその後ろ姿を冷ややかな目で見つめていた。

　先ほどロザ・ルシアが歩いてきた暗い廊下…そこには一旦消えた四人の気配が再びあった。やはりその暗さゆえ姿を認めることはできなかったが、暗闇の中で四人の声が廊下に響いていた。

　「…カルティス・ムーン？　誰だい、それは。聞いたことないぜ。」
　「あのフィアス・クレイハウントが一目置いている魔道士だそうだ…。」

　すぐ横にいた男がそのように応えた。その口調は前者に比べると非常に沈着なものに感じられた。

　「へぇ。で、そいつを俺たちが倒しちゃってもいいってことかい、兄さん。」

　兄と呼ばれた男はそれについて何も言わない。代わりに口を開いたのは廊下の向かい側にいた二人の男であった。

　「だがヴェード、気は抜くなよ。奴には何人かのガードがついているという話だからな。」
　「その通りだ。だが、今は二手に分かれて行動しているらしい。」
　「へぇ、そいつは都合がいいじゃない。目的は分かっているのかい？」
　「それはまだ分からん。だが、ガードが手薄になっていることだけは事実だと思う。」
　「ふん、チャンスは今、と言うことか…じゃあ、俺から行かせてもらうよ。」
　「もう一度だけ言っておくぞ、ヴェード。決して気を抜くな。ロザ・ルシア様の顔に泥を塗るような真似だけはするな。」
　「分かってるよ、クレイ。やつらは俺の炎で焼き尽くしてやるよ。」

　そう言うとヴェードと呼ばれた男の気配が廊下から消えた。やがて残った三人の気配も廊下から静かに消えていった。今、二手に分かれたムーンたち一行に新たな敵が迫ろうとしていた。