第二話　出会い

　スーサと呼ばれる小さな村の酒場の一角にあるテーブルで二人の男が話をしている。一人は褐色の肌を持つ筋肉質の大男、もう一人は大男の影に隠れてしまいそうな細身の身体ではあったが、白銀に輝く頭髪がその存在を際立たせていた。

　「おい、ムーン。」
　「…何です？ガーランド。」
　「あれからもう五日だぞ…まさかあいつの身に何かあったんじゃないのか？」
　「大丈夫ですよ。フォスターなら。」
　「確かに俺もあいつの実力はよく知っているが、万が一ってこともあるだろうに。」
　「そうは言っても今の我々に何ができると言うのですか？我々が今できることと言えば彼の無事を祈ることぐらいですよ…。」

　フォスターという名の仲間のことを本当に心配している大男ガーランドに対して、細身のムーンと呼ばれる男はまったく心配などしていないような雰囲気を漂わせていた。もっとも単に外面に見せていないだけで、フォスターを思う気持ちはガーランドのそれより大きかったに違いない。わずかに曇っている表情がそれを物語っていた。ガーランドに必要以上の精神的負担をかけぬよう、その気持ちを表面に出すべきではないとムーンは考えていたのである。
　降り始めてすでに八日目を迎えた雨は、一段とその激しさを増していくようであった。

　それからどれくらいの時間がたっただろうか。突然、酒場の扉が開き、びしょ濡れになった男が転がり込んできた。

　「フォスター！」

　それがすぐに誰だか分かったガーランドが叫んで、フォスターのところに駆け寄る。幸い命に別状はないようだったが、その身体はかなりの怪我を負っていた。

　「おいっ！フォスター、しっかりしろ！」
　「…み、耳元で…大声を出すなよ、ガーランド…心配しなくても聞こえてるよ…。行く時に言ったろ…心配すんなって。へへっ。」
　「こっ、この馬鹿野郎が…。」
　「そ、それより、ムーンは…ムーンはどこにいるんだ。」
　「ここにいますよ、フォスター。よく無事に帰ってきてくれました。」

　すでにムーンはガーランドの背後までやってきていた。先ほどまでの表情とは異なり、本当に穏やかな表情である。その表情を見てフォスターも安心したようだ。

　「ムーン…ようやく見つけたぜ。…やはり、あの城…みたい…だぜ。」
　「分かりました…本当にご苦労様でした。まずはゆっくり休んでください。詳しい話はそれからでもいいでしょう。」
　「…へへっ、ありがたい言葉だが、そうも…いかねぇ…。さすがに…大陸でその名を知られた…魔道士の一人だ…その手下どもの実力も半端じゃなかったぜ。もしかしたら…ここもすぐに危なくなる…かもしれねぇ。」
　「分かりました…でもその状態ではすぐに移動することもできません。まずは休んでください。きっとガーランドが私たちを守ってくれます。」

　そう言ってムーンは横に立っていたガーランドを見上げる。ガーランドの大きな身体はこういう時に非常に大きな安心感を与えてくれる、とムーンは思った。

　「あぁ、心配するな。お前を守るくらいどうってこともないさ。」
　「へへっ、言ってろ…。」

　そう言ってフォスターは気を失った。ここまで張り詰めていた緊張の糸が一気に切れたのであろう。ムーンはガーランドに頼んでフォスターを部屋に連れていくことにした。ガーランドに抱き上げられたフォスターを見ながらムーンはつぶやいた。

　「この傷は魔法によるもの…それもかなり上級の…。」

　同じ日、このスーサと呼ばれる村にある一軒の宿屋に珍しい冒険者の一行が泊まっていた。宿屋に冒険者の一行がいるということ自体はさして珍しいことではない。ただ、今日泊まっている一行はそのメンバ構成が普通ではなかったのである。
　男性が一人に女性が二人…この時代、女性の冒険者というのも決して少なくはなかったが、剣士を始めとする戦士系の比率で言えば圧倒的に男性が多く、女性はどちらかと言えば魔道士系であることが多かったのだ。今回の一行に関しても女性は二人とも剣士のようには見えず、おそらく魔道士ではないかと思われた。
　以前にも述べたが魔道士は魔法を発動するための呪文詠唱中が完全な無防備状態となるため、「ガード」と呼ばれる護衛をつけるのが常であり、今回の一行で言えば戦士風の男性がその役目を担っていると思われた。だが、この一行の普通でないところは魔道士と思われる者が二人いるということであった。この「ガード」が二人を同時に守れるほどの実力を持っているのか、もしくは二人の魔道士の能力が非常に高く、よほどの場合でない限り「ガード」を必要としないのか…現段階ではまったく分からないが、いずれにしても興味深い構成であることは確かだった。

　「エイドリアン…、ここにもいないみたいね…。」
　「…あぁ、そのようだな。もっともこの雨のせいでろくな聞き込みもできなかったが。」

　エイドリアンという名の戦士風の男はテーブルの上に置かれているグラスを眺めながらそう返事した。
　エイドリアンの正面には二人の女性が座っており、その風貌から一人は神官、もう一人は魔道士のようであった。

　神官もこの世界では魔道士と同じ扱いなのだが、扱う魔法の系統が異なるため、このように魔道士とは異なる呼称で呼ばれる場合がある。
　その魔法であるが、この世界においては大きく三つの系統が存在している。
　一つが一般的に魔法と言えばこれを指すと言われている精神魔法である。これは魔道士自身の精神力で発動させるタイプのもので、まさに個人の能力が直接効果に影響する魔法である。個人の資質だけで発動させることのできる魔法なので、比較的簡単に習得することができる。よってこの世界では精神魔法を使う魔道士が一番多くいるだろうと言われている。
　次が精霊魔法で、これはこの世界を構成すると言われている地・水・火・風の四大精霊を召還することによって発動させるタイプの魔法である。精霊をコントロールするには非常に高い精神力と集中力が必要となるため、このタイプの魔法を使える魔道士はかなり少ない。
　そして最後が契約魔法である。これは異世界の住人（一般的には神と呼ばれることもある）と契約を交わすことによって発動させるタイプの魔法で、三つの系統の中でもっとも高い能力が要求される。そして、この魔法を使うことのできる魔道士を一般に神官と呼んでいるのである。
　もしこの女性が本当に神官であったとするならば、非常に高い能力を持った魔道士であると言えるだろう。

　「シーナ姉さん、メル兄さんは一体どこに…。」

　魔道士と思われる女性が、隣に座っている神官風の女性−どうやら姉らしいが−に話しかけた。
　彼らは二人の女性の兄を探して旅をしているようだ。しかしながら降り続く雨によって訪れた村はことごとく浸水や土砂崩れの被害を受けており、彼らは兄の手がかりを聞き出すどころではなく、被害にあった村人の救助をして回っているというような状態であった。

　「クリス、少し静かにして…。エイドリアンも真剣になって手がかりを探そうとしてくれているんだから。」
　「…そうね、ごめんなさい。」
　「それにしてもこの雨、いつまで降り続くのかしら…。」
　「シーナ姉さんもそう思う？この雨、何かおかしいわよ。雨季の時だってこんなに降り続くことなんて今まで一度もなかったもの。…これまでに訪れた村の状況を思い出してよ。濁流に流されていった人、土砂に埋められた人…まるでこの雨は私たち人間を殺すことを楽しんでいるかのようだわ。」
　「まさか、そんなことが…。」

　しばらくはその姉妹の会話を静かに聞いていたエイドリアンであったが、突然何かに反応したように立ち上がり、窓の方へ近づいていく。そして壁際から窓の外へ視線を向けた。

　「どうしたの、エイドリアン？」

　エイドリアンの突然の動きに何が起こったのか分からないクリスが訊ねた。だが、エイドリアンは視線を外に向けたまま何も言わない。やがてシーナがある気配に気づいた。

　「クリス、静かにして…。何者かが外にいるわ。しかもこの気配は…ただの人間じゃないわ。」

　そう言われたクリスもようやくエイドリアンの視線を釘付けにしている者の存在に気づく。魔道士であるクリスやシーナだからこそ分かるこの気配…確かに相手はただの人間ではない、それは間違いなく魔道士の気配であった。

　「狙いは私たち？」
　「…いや、確かに何かを探しているようだが、それが俺たちかどうなのかはまだ分からん。」

　エイドリアンのところへ近づいていったクリスの質問にエイドリアンはそう答えた。うかつにこちらから動いて相手に存在を知らせるわけにもいかず、今はただ相手の動きを観察しながらすぐに対応できる体勢を作るのが精一杯であった。
　やがて気配の主である魔道士はエイドリアンたちが泊まっている宿屋から離れていった。どうやら魔道士の目標は彼らではなかったようである。

　「どうするの？エイドリアン…。」
　「どうも気になる…後を追ってみるか。」

　エイドリアンはクリスからの質問にそう答え、剣など必要最低限の装備を整えて部屋を出て行く。残された二人の姉妹も慌てて出発の準備をしてエイドリアンの後を追って部屋を出て行った。

　「…ガーランド。」
　「あぁ、分かってる、ムーン。早速来やがったようだな。フォスターの言った通り、奴らの実力はかなりのものらしい。」

　フォスターを部屋に入れてまだ幾時間も経っていないのに、追っ手はすでに自分たちの所在を掴んだというのだ。もちろん普通ではこんなことはあり得ない。魔道の力が関与しているのは疑いなかった。
　ガーランドは自分のベッドの横に立て掛けてあった愛用のブロード・ソードを静かに手元に引き寄せた。ブロード・ソードはその名の通り幅の広い剣で、普通の人間なら両手でないと振り回すことが困難と思われるような重さであった。だが、ガーランドはそのような剣ですら片手で何事もないかのように振り回せるほどの力の持ち主であった。

　「ムーン、フォスターのことは頼んだぞ。」

　ムーンは静かにうなずく。ガーランドはゆっくりとベッドから起き上がると、周囲に神経を集中させた。剣士として周囲の気配を読む能力が長けているガーランドはすぐにある場所の異変に気づいた。

　「…！窓かっ！」

　突然、部屋の窓ガラスが割れたが、それはガーランドが叫んだのとほぼ同時であった。そしてその割れた窓から何者かが部屋に飛び込んできた。
　ガーランドが素早く剣を振る。もし命中していれば間違いなく真っ二つになっていたであろう一撃だったが、その影はガーランドの剣筋を難なく見切って回避した。

　「素早いっ、何て速さだ！」

　ガーランドは相手の素早さに対応すべくブロード・ソードを捨て、腰に下げていた短剣を引き抜く。しかし、その短剣を構えるより早くガーランドの耳にムーンが叫び声が飛び込む。ガーランドは瞬時にしてムーンが叫んだ意味に気づいた。

　「やつは魔道士かっ！」

　部屋に飛び込んできたその影はすでに呪文の詠唱に入っていたのである。ムーンもそのことに気づき、即座に魔法防御を行なう結界の展開を始めようとしたのだが、今からではフォスターと自分の周囲に展開するのが精一杯で、ガーランドの場所まで展開するのが間に合わないことを一瞬にして悟ったのだ。

　「まずいっ、あれはマジック・ミサイル（魔法の矢）！」

　影の前方に出現した三本の光の矢を確認し、次の瞬間に放たれる魔法が何であるかを認識したガーランドは、ここが二階であることを黙殺してとっさに割れた窓から外へ飛び出した。それを影から発せられた三本の光の矢が追う。ガーランドは死をも覚悟した。そう、彼は知っていたのだ…マジック・ミサイルは決して目標を外すことがないということを。
　ガーランドはマジック・ミサイルの威力を少しでも軽減するために精神集中に入る。魔法というものは魔道士の精神力が作り出す力の象徴であるため、同様に精神力を高めることでその威力を多少なりとも軽減させることができるのだ。ただし、それは防御側の精神力が攻撃側のそれを大幅に上回っている場合に限られるのだが…。
　今回の術者がかなりの使い手であることはガーランドも十分に認識していた。あとは自分の精神力のみが生死を分けることになるだろう、と。しかし、今回に限ればガーランドには運がなかった。精神集中に入ろうとした直後に地上へ落下。二階から飛び降りたことによる衝撃は精神集中を乱すのに十分なものであった。
　一度失敗した精神集中を再開するための時間はもうなかった。すでに彼の眼前まで光の矢は迫っていたのである。ガーランドにできることはもはや落下の衝撃による痛みに耐えながら身体をわずかに動かすくらいであった。

　だが、その光の矢はガーランドの身体に突き刺さる寸前で見えない壁に遮られ消滅した。ガーランドは全身の痛みに顔を歪めながら、彼を救った見えない壁を作った者の姿を探した。そしてそれらしき存在はすぐに見つかることとなる。
　彼から少し離れたところに三つの影があった。降り続く雨をよけるためにフードを頭から被っているので、表情すらうかがい知ることはできなかったが、少なくともガーランドと敵対する意思はなさそうであった。

　「ガーランド！奴がそちらへ行きますっ！」

　ムーンの叫び声と同時に一つの影が二階の窓から飛び出した。ガーランドを襲った魔道士であることは間違いなかった。ムーンが作り出した結界を破ることが困難と判断した魔道士は、先にガーランドを倒してしまおうと考えたようだ。影は短剣を手に持っており、一直線にガーランドを目掛けて落下してきた。が、見えない壁は何とその攻撃すらも遮断した。
　窓際に駆け寄ってそれを見たムーンは安堵のため息をついた。

　「それにしても、魔法防御に加えて物理防御まで行なえる結界をあの短時間で展開できるとは…一体、何者…。」

　激突の衝撃で苦痛の声をあげている魔道士に対して、三つの影の中央にいた者が向かってきた。魔道士は苦痛に耐えながらも呪文の詠唱に入ったが、その影が繰り出した剣の一振りで魔法を発動させることなく地面へと倒れこんだ。
　その勢いで頭部を覆っていたフードの下から隠されていた素顔が見えた。そこに見えたのはエイドリアンの顔であった。