プロローグ 　無数の星々の中にひときわ蒼く輝く星があった…。ある時、その星の地表で小さな光が発生する。そしてその光はわずかな時間で星全体を覆い尽くし、やがて消えていった…。 　…人類の記憶に刻み込まれたあの忌まわしき出来事。のちに「終末の日」と呼ばれるわずか一日という短い時間で、人類、いやこの星に生きる生命の大半がその生涯を閉じた。 　その正確な日時、それがどのような原因で起こったのか、またどのような方法で一瞬に数多くの命を奪い去ったのかなど、残された人々が知りたいことは数多くあったが、いずれに関しても確実な記録はほとんど残っていない。 　ある者は言う「その時、突如として地獄がこの世に出現した」と、またある者は言う「神々の裁きが人類に下されたのだ…」と。 　だが、その真相を知る者は誰もいない。それはもはや遠い過去の出来事となっていたのだから…。確かなことは、その瞬間にそれまで栄華を極めていた科学文明はそのほとんどすべてが消失し、わずかに生き残った人類は再び原始の生活を余儀なくされたということだけであった。 　それから数百年…人類は残された大地でかつてのものとは異なる文明を手に入れ、再び繁栄の道を歩み始めようとしていた。 　その大地の名はサートゥリア…。そこは剣と魔法が支配する巨大な大陸であった。

第一話　雨の中で… 　今日も雨だ…これでもう何日目だろうか。男は湖岸にそびえる大樹の下でそうつぶやいていた。雨は次第にその激しさを増し、眼前の景色を白い霞の中に覆い隠しつつあった。だがその男の目は湖の対岸に存在している巨大な古城をはっきりと捉えていた。 　その城は一体いつ頃建てられたのだろうか。噂では１００年以上前に起こった魔道大戦において人類にとって最後の砦であった城だとも言われているらしいが…。 　その城壁はいたるところが崩れかかっており、とても人が住めるような状態ではなくなっていた。だが、何故かその城には人間の気配が感じられるのである。そして湖岸に立つ男にはそれが何者であるのかもすでに分かっていた。なぜなら彼はその城の主の所在をこの数年間探し続けていたのだから…。 　男は腰に細身の剣を下げてはいるが、着けている鎧は金属製ではなく皮をなめして作られた一般にレザー・アーマーと呼ばれるものである。 　なめしとは特定の木の皮を浸した水に生皮を浸けて耐水性を持たせ、同時に革が硬くなるのを防ぐ技術で、先の大戦を超えて生き残った貴重な技術の一つである。 　この鎧の特徴としては適度な防御力と何よりその静粛性であろう。すなわち動いても物音が立たないのである。金属製の鎧ではそうはいかない。彼はこの鎧をかなり愛用しているようで、各所に傷や汚れが見受けられた。 　「さて、奴等に気づかれる前に立ち去るか…。」 　男はそう言い残し背後の森の中に消えていった。が、激しく降り続く雨が普段の感覚を鈍らせたのか、すぐ近くにまで迫っていた者の気配にまったく気づかなかったのだ。そしてその気配も男がいなくなるのと同時にその場から消えた。 　男がその気配に気づいたのはどのくらいの時間が過ぎてからであっただろうか。彼は突如背筋が凍るような殺気を感じたのである。すかさず腰の剣に手をかけ、歩を速めた。だが背後の殺気が離れる気配はまったく感じられない。 　男は素速く剣を抜き振り返った。目を細めて眼前の霞に包まれた森林に意識を集中する。気配は間違いなく近づいてきているのだが実体がまったく見えない。男は次第に焦りを感じてきていた。まさかこの殺気の正体は魔道士！ 　魔道士…この世界の人類が手に入れている特殊な能力「魔法」。その「魔法」を操る者を「魔の道を進む者」すなわち「魔道士」と呼ぶ（「魔を導く者」という意味で魔導士と呼ばれることもある）。 　魔法の力は絶大で、実際にこの力による攻撃を受けた場合、よほど魔法に対する抵抗力がない限り、死は避けられないとも言われている。 　ただ、それほど強大な力を操る魔道士にも弱点はある。初歩的な魔法でも数秒、高度なものになると分単位という呪文の詠唱時間を要するのだ。呪文の詠唱とは通常この世界で発動しない現象を引き起こすために必要な儀式と言えるもので、非常に高いレベルでの精神集中を必要とする。従って呪文詠唱中の魔道士は外敵に対して丸腰同然の状態となってしまうのである。 　すなわち、剣士と魔道士による一対一の戦いにおいては、剣士の攻撃時間と魔道士の呪文詠唱時間の速さが勝敗を分けることとなる。 　一般的には呪文の詠唱時間より剣で切りつける時間の方が圧倒的に速いため、正面から一対一で戦った場合、ほぼ確実に剣士が勝利すると言われている。よって魔道士は通常「ガード」と呼ばれる護衛を数名従えたり、相手に位置を悟られないようにして呪文の詠唱を行なうのである。魔法さえ発動させてしまえば勝利は確実なのだから…。 　男は軽く舌打ちした。相手に完璧に先手を取られてしまっており、しかも未だその場所すら掴めていないのだ。そして相手がもし魔道士だった場合、すでに呪文の詠唱は始まっていると考えるべきだろう。 　「まずいことになったぜ…このフォスター様ともあろうものがよぉ。」 　フォスターという名の男はそう言いつつ、腰に下げている袋に左手を突っ込み、その中に入っているはずのあるものを探し始めていた。 　　・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 　「フォスター、もし一人で行くというのなら、これを持っていきなさい。」 　「なんなんだ、その黒い球はよぉ、ムーン。」 　ムーンと呼ばれた男…身長はフォスターに比べるとわずかに低く、年齢は同じくらいだろうか、それほど歳はとっていないようだった。少し青白い肌に白銀に輝く髪、そしてわずかにこけた頬が一見すると学者的な印象を与える青年であった。 　「普段から言っていますが、あなたはまだ魔法の力を甘く見すぎています。」 　「そんなことねーよ。心配すんなって。」 　「…そんな口調だから心配なんだとムーンは言ってるんだ。」 　「なっ、何を言いやがるんだ、ガーランド！」 　フォスターの背後で椅子に腰掛けていたガーランドと呼ばれた男は、フォスター、ムーンに比べてかなり筋肉質で、椅子に座っているにも関わらずその身長が彼ら二人を遥かに凌いでいることが分かる。その体格に褐色の肌を持つ、いかにも歴戦の勇者という雰囲気を漂わせている大男であった。 　「思ったことをそのままを言ったまでだが…。」 　「あ、あのなぁ。そんなことを…。」 　そこまで言ってフォスターは口を閉ざした。どうやら舌戦では勝てないことを悟ったのであろうか。しぶしぶムーンから渡された黒い球を受け取り、それを見る。 　「…で、こいつは一体何なんだ？ムーンよぉ。」 　「それほど難しいものではありませんよ。これはですね…。」 　　・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 　フォスターは剣を鞘に戻し、周囲に意識を集中する。つい先ほどまで剣を持っていた右手はムーンから渡された黒い球体を握りしめている。 　かすかにしか感じない気配から敵が至近距離にいないことは分かる。やはり距離をおいて呪文の詠唱を行なっていると見るのが正しいようだ。となると魔法が発動してから自分のところへその効果が及ぶまでにはわずかながら時間がかかるはずである。魔法の効果を回避するにはまさにその一瞬を確実につかむしかない。 　雨はさらに激しさを増し、次第に気配をつかむのが難しくなってきたその時である。視界の右端に小さな光が発生するのをフォスターは察知した。それと同時に右手に持っていた黒い球を地面に叩きつける。 　「くそっ、間に合えっ！」 　その瞬間、フォスターは閃光に包まれた。雨に霞んで暗くなりつつあった森林をまばゆい光が照らす。フォスターに向かって飛んできていた無数の光の矢は、その大半が閃光の中に溶けて消えていった。ムーンがフォスターに与えたのは魔法の効果を打ち消すマイナスのエネルギーを込めた物体だったのである。 　しかしながら、その力をもってしても敵の魔法の威力を完全に打ち消すのは不可能だったようで、いくつかの光の矢は閃光をかいくぐってフォスターの身体に襲いかかった。 　フォスターは苦痛に顔をゆがめたが、すべての攻撃を受けずに済んだこともあり、命を奪われるまでには至らなかったようである。 　「…ムーン、た、助かったぜ…。」 　まばゆい閃光が消えた後、そこにフォスターの姿はすでになかった。そこから少し離れた大樹の向こうで何者かが小さく舌打ちする音が聞こえた。 　　・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 　とある街にある古びた屋敷の暗い一室に二人の男がいた。明かりは窓から入ってくる光だけである。一人はかなり高齢の老人であり、この場所はおそらく彼の書斎か何かであろう。老人はその部屋にある椅子に深く腰掛けていた。その前にある立派な机には分厚い本が何冊も積まれ、その脇には様々な色をした液体状のものが入ったガラスの容器がいくつも置かれていた…。どうやらその老人の正体は魔道士のようである。 　もう一人の男は老人とは対照的で非常に若く、その腰には剣を下げていた。軽装ながら金属製の鎧を着けている身なりから察するに剣士のようである。頭髪は美しい金髪で、意識的に伸ばしているためであろうか、右目は完全に髪の毛によって隠されていた。一方、左目は額に巻いた紺色のバンダナをうまく使い視野を確保しているようであった。 　「メル…よ…。」 　老人はそう切り出した。メルと呼ばれた男は瞬間姿勢を正す。彼の左の壁に付いている窓の向こうでは激しい雨が今も降り続いていた。 　「この雨をどう思う…。」 　老人の質問はあまりにも拍子抜けしていたので、メルは一瞬躊躇した。だが、躊躇したのは一瞬だけですぐに老人の真意をつかみ口を開いた。 　「雨ですか…私個人としてはあまり好きではありません。ですが師の尋ねておられるのはそういった事では無論ありませんね。」 　「その通りじゃ…。」 　「確かにこの雨は少し異常です。まだ大陸に住む多くの人々は気づいていないでしょうが、すでに五日間も降り続いています。しかもその降り方は激しくなっていく一方…。」 　メルはちらりと窓の外の雨に包まれた街を見る。 　「これは自然の雨ではないと思われます。もしかすると何らかの魔道が働いている可能性があります…。私が少し調査をしてみましょうか…。」 　老人は少し考えている素振りを見せたが、やがて小さく首を振り必要ないとの意思を示した。 　「それよりもメルよ…お前に与えた使命の方はどうなっておるか…。」 　メルは思わず下を向いた。老人にとってはその動作だけで使命の達成度を理解するに十分であった。 　「申し訳ありません。依然その所在すら不明のままです…。」 　「やはり…そうか…。いや、非常に困難な使命をお前に与えてすまないと思っている。だが、あれは…奴等に渡すわけにはいかん…断じてな…。」 　「はい…。」 　メルがそう言ったまさにその時、稲妻が光り二人のいる部屋を明るく照らした。 　　・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 　「どうやら鼠が一匹迷い込んだようです…。」 　フォスターが見ていた湖岸にそびえ立つ城の一室で、二人の人間の気配が感じられた。こちらも老人と若い剣士のようである。だがその部屋は暗く、特徴をつかむことは非常に困難であった。 　「…このわしが引き起こしている異常気象…そろそろ気づく者が出てきたと言うことじゃな…。」 　老人は特に慌てた様子もなく、それがまるで当たり前であるかのように応えた。天候をも操れる力を持った魔道士…それが老人の正体のようだ。そして若い剣士にはその老人の言葉に関して思い当たることがあった。 　「…もしや、奴の手の者でしょうか？」 　「いや、そうではなかろうて。この程度のことで尻尾を出す奴とは思えぬわ。…ふむ、少しばかり正義感の強い奴がおって、わしらの行ないが気に入らんと考えておるだけじゃろう。」 　「ですがそうは言いましても、我らの計画にとって障害となるようでは問題です。私が出て排除してまいりましょうか？」 　若い剣士にしてみれば、この老人と進めている計画は本当にまだ始まったばかりなのだ。現時点においては人類の誰一人として考えてもいないようなことを実行しようとしているのである。敵は非常に強大な力を持っており、わずかな失敗が致命傷ともなりうる相手である。 　そのような状況におかれている若い剣士にしてみれば、わずかな障害であっても排除したいという気持ちになるのは当然のことであろう。だが、老人の口から出た言葉は、その若い剣士の心配などまったく意に介していないかのようなものであった。 　「構わぬ、カスタイト卿…お主が出るほどのことでもあるまい。そ奴らには他の者をつけておこう…。」 　「…かしこまりました。それでは私は引き続き計画の遂行に戻ります。」 　カスタイトと呼ばれる若い剣士は深々と頭を下げて暗闇の中へと消えていった。老人はカスタイトの気配が消えるのを確認して小さく息をはいた。 　カスタイトの心配は老人にとっても十分に理解できるものだった。だが、指導者という立場にいる自分がその部下に対して弱気になっていることを悟られるわけにはいかなかった。指導者の士気の低下はそのまま部下に伝わって組織全体の士気を落とし、やがては組織そのものを崩壊へと導いていくことを彼はよく知っていたのだ。 　「まだじゃ…まだ奴に気づかれるわけにはいかぬ。」 　老人は小さくつぶやいた。それは隣にいても聞こえないほどの小さな声であった。 　時にサートゥリア暦２６１年…降り続く雨の中、多くの人々の運命の歯車が回り始めた…。