第五話　解かれる封印 　崩れ去った岩の向こうに現れた洞窟…それは約１００年ぶりに外気を吸い、新たなる訪問者を待っているかのようである。そして今、その洞窟へ駆け込もうとしている男が二人いた。 　一人は細身で長身、美しい黄金色の髪が印象的だった。彼の名はレオンハルト・バークスティーン…大陸の大部分を支配するグラナド帝国より最高の賞金をかけられているお尋ね者である。 　もう一人は大柄で筋肉質、その手にはかすかに輝く大剣を持っていた。彼の名はカイゼル・フォルディ…グラナド帝国に三人しかいない竜騎士の一人であった。竜騎士は帝国の力の象徴であり、皇帝より与えられし竜に乗って多くの戦場に現われ、数多くの武勲をあげていた。だが、その彼の目的はすぐ目の前を走る賞金首の男・レオンハルトではなかった。彼の目的もレオンハルトと同じくこの洞窟の内部にあると思われるモノであった。 　魔剣アーク…１００年以上前に大魔法使いル・アークによって作られた大陸最強とも言い伝えられる剣である。 　あまり知られてはいないが、この剣には同時に作られたもう一本の剣があり、当時ル・アークに魔剣を授けられた名家カスタイトの剣士は二本あった剣のうち、あえて力の弱かった方を選択したと言われている。 　魔剣アークに対して言い知れぬ恐怖を覚えたためと彼は後日そう語ったらしいが、その彼が選んだ弱い方の魔剣にしても当時としては間違いなく最強と言われた剣の一本であり、そのことだけでもいかにアークの能力が計り知れないものであったかという証左であろう。ちなみにこのアークの兄弟剣は今なおカスタイト家の者が保持しているという噂である。 　「くっ、何て土煙だ！」 　二人のうち、先に洞窟ヘ飛び込んだレオンハルトは洞窟に入るなりそう叫んだ。洞窟内はそれを塞いでいた岩が砕けた結果生じた土煙でほとんど視界がない状態となっていたのである。 　だが、レオンハルトはそんな土煙をものともせずに先へと進んでいく。すぐ後ろにカイゼルが迫ってきているのは分かっていたので、こんなところで立ち止まっている場合ではなかったのだ。 　しかし、この先に伝説の魔剣が本当にあるのかどうかはレオンハルトにもまだ確信が持てていなかった。もし、この先がただの行き止まりで魔剣など存在していなかったら、後ろから迫ってくる竜騎士カイゼルとこの狭い空間で戦わねばならなくなる。それは素早い動きで敵を翻弄することを基本戦術としているレオンハルトにとって極めて不利な状況であった。ただ、実際に魔剣があったとしても、自分にそれを使いこなす力がなければ、それは魔剣がないのとまったく同じ状況になるのである。レオンハルトの活路は洞窟の先に魔剣があって、かつそれを彼自身が使いこなせるかどうかにかかっていたと言える。 　これほど不利な条件が揃っているにも関わらずなぜ俺は洞窟の奥を目指しているのだろうか。ふと、レオンハルトは自問した…普通の自分では到底考えられないような選択をしていることに気づいたのだ。だが、彼は足を止めない。魔剣に魅入られるとはこういうことを言うのであろうか、これまでにも多くの剣士が魔剣を求めて命を落としていったと言う。それほどの危険を冒しても手に入れたい…それが魔剣なのである。 　俺の命もこの洞窟の中で終わるのかもしれないな…レオンハルトがそう思った時、目の前が少し開けていることに気づいた。暗い洞窟の中を走ってきていたので、暗闇に目が慣れるのにはそれほどの時間はかからなかった。やがて自分の正面に地面に突き刺された何かがあることに気づいた。 　「…あれは、剣…か？」 　それは確かに剣であった。レオンハルトはその剣らしきもののところへ駆け寄っていく。地面に突き刺されたそれはレオンハルトが普段使っているものとは大きく異なっていた。剣というには非常に細身で、刃は剣の片側にしかついていなかった…レオンハルトが想像していたものとはまったく異なる姿をしたものだったと言ってもよいだろう。しかも、剣の表面にはかなりの錆が付着しており、このまま武器として使えるかどうかも不明であった。 　だが、レオンハルトはためらうことなくその剣に手を伸ばした。 　「それはお前には使えんぞ。レオンハルト！」 　とっさにレオンハルトは振り返って自分の剣を構える。そこには遅れて洞窟に入ってきたカイゼルの姿があった。 　「俺に、使えない…だと？」 　「そうだ。それがお前ごときに使える魔剣だとでも思っているのか。身の程を知れ。」 　「ならば、お前には使えるとでも言うのか？」 　「さぁな、少なくともお前よりはその可能性があると思っている。」 　「ふんっ、何の根拠もなしに知ったようなことを言うな！」 　「どうせ無駄だから悪あがきはするなと忠告してやっているんだがな。」 　「可能性が少しでもあるなら俺はやるっ！それが俺の主義だっ。」 　レオンハルトは振り返って魔剣に手を伸ばした。剣はレオンハルトが予想していたより遥かに簡単に地面から抜けた。あまりの手ごたえのなさに危うく体勢を崩しそうになったが、持ち前の身体能力の高さですぐさまバランスを立て直し、魔剣を構えてカイゼルと対峙した。剣についていた錆は剣が地面から抜かれるのと同時に霧のように消えていき、その下からは鈍く輝く刀身が現れた。 　「魔剣アークよっ、俺に力をっ！」 　だが、魔剣には何の変化も起こらず、ただ刀身から鈍い光を放っているだけであった。 　「だから言ったろう、レオンハルト。その剣はお前には到底扱えぬものなのだ。悪いことは言わん、今すぐ剣を置いてここから立ち去れ。そうすれば命だけは助けてやってもよいぞ。」 　そう言われたレオンハルトであったが、もちろん彼に剣を置いて逃げるような考えはなかった。この剣を見つけるためにこれまでしてきた苦労、そして剣を置いたところでカイゼルが自分を見逃してくれるはずがないという確信の元での判断である。そして何よりレオンハルトはこの魔剣の剣として能力に興味を持っていたのだ。それを確かめないまま剣を置くようなことが彼にできるはずはなかった。 　非常に細く薄い刃を持つこの剣、大陸で一般的に使われている分厚く重い剣とまともにぶつかって勝てるとはレオンハルトも考えてはいなかった。それなのに大魔法使いル・アークは魔剣のベースにこのタイプの剣を使用した。それにどういう意味があるのか、彼はその理由を知りたかったのである。 　しかし、レオンハルトにはその理由を考えるより先に、まずこの状況から脱する方法を考える必要があった。仮にここで魔剣の謎を解けたとしても、生きて出ることができなければそれはまったく意味のないことになってしまうのだから…。 　「さて…、うまく逃げ切れるか。」 　レオンハルトは魔剣を左手に持ち替え、右手には愛用の剣を持って二刀流の構えをとった。相手は帝国が誇る竜騎士の一人である。まともに勝負して勝てるかどうかはレオンハルトにも分からなかった。しかし、攻撃をかわして逃げるくらいならできるかもしれない。レオンハルトはそう考えていた。 　しかし、始めから逃げようとしているのを気づかれるわけにはいかなかった。気づかれればそれを阻止するように動かれるのは目に見えている。いかに真意を悟られずにいけるかが勝負である。そのため、最初の一撃は全力を持って当たる必要があった。 　「それで倒されれば俺もそこまでの男だったということさ…。」 　「何をブツブツ言っている。さぁ、どうするんだ、レオンハルト？」 　「決まっているさ、お前を倒してここを出るっ！」 　「ふんっ、愚かなことを！」 　レオンハルトはカイゼルに飛び掛っていき、右手に持った剣を力一杯振り下ろした。だが、普段は両手で持っている剣である。片手での打ち込みではその威力も半減してしまい、カイゼルの持つ魔剣によって容易く受け止められてしまった。もっともレオンハルトにとってこれは予想できた結果であり、そもそも最初の一撃はカイゼルに剣を使わせるためであった。 　レオンハルトはすかさず左手に持った魔剣を繰り出す。細い刀身を持つこの剣は重量も非常に軽く、小回りとスピードを生かした攻撃に適していた。一本しか持っていない剣で最初の一撃を受け止めたカイゼルは、レオンハルトによるもう一本の攻撃を剣で受けることができず、とっさに持っていた剣へ力をこめて二本目の攻撃が当たる前にレオンハルトを身体ごと押し戻した。 　「ちっ、こざかしいマネを…。」 　「やはり片手じゃ、力負けするか…。」 　「笑わせるな、レオンハルト。お前ごとき、両手で来ても同じことだ。」 　「そんなことはやってみなけりゃ分からんさ。」 　そう言うとレオンハルトは魔剣アークを口にくわえ、自分の剣を両手で構えた。そして間髪いれずに攻撃へと移る。次は右下からの打ち上げであった。それに対してカイゼルは右上から打ち下ろしの剣を放つ。剣と剣がぶつかりあって激しい火花を飛ばした。カイゼルが言った通り、レオンハルトの渾身の一撃もカイゼルには通用しなかったようである。 　だが、これもレオンハルトが承知の上で繰り出した攻撃であった。小さく後ろへ飛び退いたレオンハルトは続けて剣を正面に突き出した。左下方向へ剣を振り下ろしていたカイゼルはその突きを素早く剣を右方向へ振り抜くことによって受け止めた。その速さはレオンハルトの予測を超えており、彼はその衝撃で持っていた剣を放してしまった。 　剣を手放したのは予定外であったが、この瞬間こそレオンハルトが狙っていた時であった。カイゼルにとっては左後方、対するレオンハルトにとっては右前方にある出口へ続く通路、レオンハルトはそちらへ向かって駆け出した。右方向へ剣を振り抜いていたカイゼルは自分の左側面を駆け抜けていくレオンハルトに対してすぐさま攻撃をかけることができなかった。 　こうしてレオンハルトは出口に続く通路へと飛び込んだ。足の速さならカイゼルに勝てる自信のあったレオンハルトにとって、次なる問題はこの通路の正面から別の敵が来ないかどうかだったが、今はそんなことを考えている暇はない。ただ全力で出口に向かって走るだけであった。 　　・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 　その頃、洞窟の外でも別の戦いが繰り広げられていた。もっとも強力な竜騎士カイゼルこそ洞窟に入ったためにいなくなっていたが、それでもまだ帝国軍の騎士二人が洞窟の外に残っていたのだ。 　カイゼルが洞窟に入っていった後、しばらくは再び帝国軍と少年二人との間で剣による激しい戦いが行なわれたが、今はお互いが相手の出方をうかがっているような状態になっていた。先ほどは少年たちの力量を読みきれずに後退することになった帝国軍の騎士二人であったが、相手の力が知れた以上、戦いようはいくらでもあった。実戦におけるこのあたりの臨機応変な対応はやはり場数を踏んでいる帝国軍の騎士の方に分があった。 　「ハリー、あいつら全然攻撃して来ないぞ。」 　「気をつけろエリック、あいつら絶対何か企んでる。」 　先ほどから二人の騎士は少年たちの周りをゆっくり移動しているだけで、これと言う攻撃をしていなかった。たまに打ち込んできたかと思っても、それは少年たちが軽々と返せる程度の弱い打ち込みで、敵を倒そうとする意思をまったく感じられない不可解な行動であった。 　無論、騎士は少年たちだけを見ているわけではなく、ソフィアが呪文の詠唱を始めようとした場合はそちらへの攻撃も行なっていた。呪文の詠唱はそんなに短時間で終われるものではない、騎士にしてみればその長い詠唱時間のどこかで一瞬だけ精神集中を途切れさせることができればそれで十分なのだ。だが、彼女をガードする少年たちはそうはいかない。長い詠唱時間の間、完璧に守り抜かねばならないのだ。 　しかも戦闘はすでにかなりの時長間に及んでおり、少年たちの疲労も相当なものになっていると思われた。事実、少年たちの動きが徐々に鈍くなってきていることをソフィアは気づいていた。そして、それが分かっているからこそ、彼女は呪文の詠唱に集中できないのであった。 　この戦いの前に決して命を捨てるようなことはしないという約束はしたが、自分に致命的な攻撃が加えられようとした時には、おそらく彼らは何のためらいもなく命を捨てて自分を守ろうとするだろうということを…。 　「だめっ、このままじゃ、あの子たちが…。」 　ソフィアはこの状況において何もできない自分の無能さを悔やんでいた。いかに強力な力を持った魔道士と周囲から称えられていても、いざ実際の戦闘となった時、子供までを盾にしているにも関わらず何もできない自分がそこにいる。 　しかも自分がここにいる限りあの子たちは決して戦いを止めないだろう。こんな何もできない自分のを守るために…。 　こうしている間も戦いの緊張感によって少年たちの疲労が蓄積されていく。そう、帝国軍の騎士たちはこの時を待っていたのである。実際に剣を交えることがなくても対峙しているだけで相当な集中量を必要とするのが実戦である。いかに剣の実力が高いとは言え所詮は子供、長時間の集中を続けることによって肉体的にも精神的にも疲労は確実に蓄積されていき、その限界点はすぐそこまで迫っているように見えた。こういう持久力は実戦を繰り返さないことにはなかなか身につかないものなのだ。 　「そろそろか…。」 　「あぁ、小僧どもはもうフラフラになりかけているはずさ。」 　ハリーとエリックの二人は突然強い殺気を感じた。いよいよ敵が本気になったということを少年たちは瞬時に察知したが、消耗しきった身体はその気持ちについて来くることができなかった。帝国軍の騎士二人による攻撃はその速さ、強さともに少年たちのそれを大きく上回り、二人の少年はただひたすら防戦を続けるしかなかった。 　「これで終わりだ、小僧！」 　そして追い込まれた少年に向けて騎士の巨大な剣が振り下ろされた。 　　・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 　かろうじてカイゼルの追撃を振り切って洞窟からの脱出に成功したレオンハルト。だが、洞窟から出てきた彼の目に入ったのは、もっとも起こって欲しくないと願っていたことであった。 　傷つき倒れた二人の少年。そしてその二人をかばうように倒れているソフィアの姿…ソフィアの背中には血がにじんでおり、気を失っているだけなのかすでに命を落としているのかすら分からない状態であった。 　「ソフィア！」 　レオンハルトは思わず叫んだ。だが、ソフィアはまったく反応しない。絶望に支配されつつあるレオンハルトの目に二つの影が映った。レオンハルトに気づいて向かってきた帝国軍の騎士であった。 　「きさまらがソフィアたちを！」 　レオンハルトを支配しようとしていた絶望の感情は、帝国軍に対する激しい怒りの感情によってかき消されていった。そしてその瞬間、これまで鈍い光を放っているだけだった魔剣・アークが激しく輝き始めた。そう、魔剣の真の能力が解放されつつあったのだ。 　レオンハルトからわずかに遅れて洞窟から出てきたカイゼル。彼が見たものは重厚な甲冑ごと切り倒されている二人の帝国軍の騎士と激しく輝くアークを持ったレオンハルトの姿であった。 　「その光、まさかアークの力が…。」 　レオンハルトは静かにカイゼルの方へ振り返る。その目には激しい怒りが渦巻いていた。伝説と言われた魔剣アークを持つレオンハルトと帝国軍最強と言われる竜騎士は互いにその距離を縮めていった。決着の時はもうすぐそこまで迫っているようであった。