第四話　それぞれの魔剣 　一方的な戦い…まさにそうなると表現していい状況であった。 　レオンハルト・バークスティーン一人に対して、今や大陸最強とも言われる帝国軍の騎士が二十人弱、そして何より帝国の力の象徴たる竜騎士カイゼル・フォルディまでがやってきているのである。 　「さて、どうする、レオンハルト…。お前の周囲は我ら帝国の騎士が取り囲んでおる。この状況から生きて逃れる方法などあるものか。おとなしく投降すれば命だけは助けてやってもいいぞ。」 　帝国の竜騎士カイゼルはレオンハルトに対してそのように言った。しかし、レオンハルトにそんな気がないのは明らかで、この瞬間にもいかにしてこの状況から脱出するかの方策に知恵を絞っていたのだ。 　「しかたねぇ…やってみるか。カイゼルの左に四人、右に六人…後ろは左が三人に、右が二人ってところか…。問題はカイゼルがどう動くかだけ、だな。」 　レオンハルトは舌を出して上唇をなめた。そして眉間の傷を左の親指で軽くこすると、剣を鞘から引き抜いてその場にいる誰も予想しなかった方向へと駆け出した。 　レオンハルトから見て右前方、すなわちもっとも騎士が多くいるエリアに向けて走り出したのだ。もっとも可能性が低いと思われていたエリアへの攻撃、全戦力の三分の一に相当する騎士がいる場所を最初に攻撃するなどとは帝国軍の誰一人として想像もしていなかったのだ。 　圧倒的な戦力差がある状況下においてレオンハルトが生き残るためには、こんな奇策の一つも必要だったのだ。もちろん捨て鉢になっての行動ではなく、彼にはそれなりの勝機があったためではあるが…。 　実力のある騎士ほど個人レベルの戦いにおいてその実力をいかんなく発揮する。今の相手は大陸最強の帝国軍である。そんなものを一人ずつ相手にしていれば、いかにレオンハルトと言えども最後まで戦い抜くことは不可能であろう。しかし、乱戦となれば周囲にいる味方を傷つけるわけにはいかないため、どうしても攻撃の手が緩んでしまう。そこにレオンハルトは勝機があると考えたのだ。 　一方、レオンハルトの周りには敵しかいないので、その実力をフルに発揮することができる。しかし帝国軍にとっては、なまじ僚友が近くにいるためにそれができない。こうしてその実力をまったく発揮できないまま一人、また一人とレオンハルトによって倒されていった。 　レオンハルトにとってもっとも気がかりだったカイゼルの動きであるが、やはりレオンハルトの行動を予想しきれていなかったようで、彼の行動に対する反応がわずかに遅れた。しかし、そこは竜騎士の一人、すぐさま周囲の騎士に指示してレオンハルト追撃の行動に移った。 　だが、レオンハルトにとってはそのわずかな反応の遅れこそもっとも期待していたことであった。そのわずかな時間に六人のうち三人を倒し、包囲網の外へ脱出することに成功していたのである。 　「なっ、何をしている！早く奴を追わんかっ！」 　目の前で起こった現実に即座に対応できなかったのは明らかにカイゼルが数の有利さに対する驕りを持っていたためではあったが、すぐさまそれに対応すべく行動を起こした。 　すぐ近くにいた三人の騎士がレオンハルトを追って広場の周囲に広がっている森に駆け込んでいく。それ以外の騎士も慌ててその後を追おうとしたが、カイゼルはそれを制止した。 　「お前たちは残りの村人たちを追え。」 　「ですが、それではあの男は？」 　「構わん。あいつは食えん男だが、仲間を見捨てて逃げ出すような奴ではない。必ず村人のいるところへ戻ってくるはずだ。」 　「わかりました。それでは…。」 　そう言うと、残った九人の騎士は逃げた村人を追って広場から出ていった。カイゼルも一瞬レオンハルトが逃げ込んだ森に目をやったが、すぐさま九人の騎士を追って広場を出ていった。 　　・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 　逃げ出した村人たちの所在は間もなく帝国軍に知られることとなる。もともと大きな村ではないので、村を出ない限り見つかるのは時間の問題だったのだ。 　岩場に逃げ込んだ村人の数は三十人余り。彼らと岩場にやって来た帝国軍の間に立っているのは村に住む唯一の女性魔道士であるソフィアと二人の少年、ハリーとエリックであった。 　「ハリー、エリック…これを使いなさい。レオンハルトからあなたたちに渡しておいてって言われたの。」 　そう言ってソフィアが二人の少年に渡したのは新しい二本の剣であった。これまで二人が使っていた剣に比べると一回り小さなサイズで、レオンハルトが彼らのためにと村の鍛冶屋に頼んでおいたものだった。 　「これ、僕たちが使っていいの？」 　「そうよ。レオンハルトはあなたたちが一人前になったらその時に渡そうと以前から用意していたの。」 　「レオン兄ちゃんが…僕たちのために？」 　「そう。これはレオンハルトがあなたたちに贈る、修行が終了したという証なのよ。」 　こうしてハリーとエリックはソフィアから剣を受け取った。だが、その新しい剣の感触に慣れるより早く、帝国軍が襲いかかってくる。すぐさま二人の少年は戦闘体勢へと移行した。 　レオンハルトが二人に与えた剣は、村の鍛冶屋が作ったごく一般的な剣であったが、少年たちにはまるで魔剣を持ったかのような印象を与えた。 　「か、身体が軽い！」 　「本当だ。今までよりずっと素早く動けるっ！」 　新しい剣はこれまで使っていた剣より一回り小さいために、その重量もかなり軽くなっていたのだ。レオンハルトは剣術の修行ではずっと意図的に大人用の重い剣を使わせており、それでも少年たちは彼を驚かせるくらいにまで成長していた。身体のサイズに見合った剣を持つことで、彼らが持っている本来の力が今まさに発揮されようとしていたのだ。 　襲いかかってくる騎士を前に少年たちはまったく怯むことなく向かっていく。騎士の打ち込みを素早い動きでかわして、小回りの効く小さな剣の利点を生かして的確な攻撃を加えていく。 　「あんな小さな子供を相手に何をもたついているかっ！」 　帝国軍の騎士の一人がそう叫んだ。それほどまでに帝国軍は二人の少年に翻弄されていたのである。しかも帝国軍はこの二人の少年に気を取られすぎたあまり、もっとも注意すべき者の存在を完全に忘れ去っていた。 　騎士たちがそのことに気づいたのは、目の前に現れた光の矢を認めた時であった。ソフィア・ローレンス…この村に住む唯一人の魔道士。彼女の攻撃魔法が発動したのである。 　九人いた騎士たちのうち、七人がこの攻撃によって一瞬にして倒された。まさに魔道士がいる場合の典型的な戦い方であった。魔道士の護衛たるガードが敵を引きつけ、その間に魔道士は呪文の詠唱を行ない、魔法を発動させて敵を一気に殲滅させる…。 　「お、おのれぇ。」 　生き残った二人の騎士が覚悟を決めて魔道士への攻撃に移ろうとした時、一人の男がそれを制止した。 　「やめておけ。お前たちではあの小僧どもを突破することはできんぞ。」 　「カ、カイゼル将軍！」 　「それにしても…確かあの小僧たちは先日ここへ来た時にいた奴らだと思ったが、わずかな期間でこれほどまでにも腕を上げているとは…。レオンハルトの手によるものだとは思うが、奴にこんな剣術指南としての才能があったとはな。」 　カイゼルは二人の少年の実力を正確に評価して、これ以上自軍の被害を広げることはないと判断した。その上で二人の騎士を後方に下げ、自らは大剣を抜いて少年たちに目を向ける。 　「小僧、短期間でよくぞここまで成長した。誉めてやる。…だが、私には勝てんぞ。」 　カイゼルの持つ剣がほのかな光を放つ。それを見たソフィアはあの剣が魔剣であることを思い出した。以前、彼女の放った魔法がすべてあの剣に吸収されたことがあるのだ。実際のところあの剣がどの程度の魔法防御力を持っているのかは分からなかったが、少なくとも以前放ったもの以上の魔法を繰り出す必要があることは明らかだった。 　「…ハリー、エリック。魔法を使うわ…お願い、できるだけ時間をかせいで。」 　「…うん、分かった。ソフィア姉ちゃん。」 　「でも、無理はしちゃ駄目よ。もし勝てないと思ったら私を捨てて逃げなさい。いいわね。」 　「で、でも…。」 　「これは私とあなたたちとの約束。いい？これだけは絶対に守りなさい。決して命を落としてはいけません。」 　「…う、うん。」 　ソフィアは二人の返事を確認すると目を閉じて呪文の詠唱に入った。それと同時に二人の少年も剣を構える。カイゼルにしてみればそれは予測できる当然の行動なので、特に慌てた様子もなく攻撃態勢に移る。 　二人の少年はソフィアとカイゼルの間で横に並んで立ち、完全な壁になろうとしていた。それを見たカイゼルは小さく笑みを浮かべる。 　「小僧、良い覚悟だ。だが、無駄に命を落とすのは賢い者のすることではないぞ。」 　そう言ったカイゼルは剣を構えて二人の少年に襲いかかる。体格の差を見るだけでもその結果は誰の目にも明らかだった。しかし少年たちにはまったく臆するが感じられなかった。 　迫り来るカイゼルに対してハリーが剣を構えて飛び出す。それと同時に後ろからエリックが腰に隠していた二本のナイフを投げた。カイゼルはハリーの背後から飛んでくるナイフを確認し、ハリーの打ち込みを剣で軽く受け流し、さらに続けてナイフをも叩き落した。 　もし、ここでナイフを投げていなければ、ハリーは全力で振り下ろされたカイゼルの剣によって真っ二つにされていたことであろう。 　「ふんっ、考えおったな。」 　予想以上の攻撃を受けたカイゼルではあったが、彼にしてみればまだまだ余裕で対応できるレベルの攻撃であることは間違いなかった。 　少年たちにしてみても、この程度の小細工で倒せる相手でないことは十分承知していた。まともに戦って勝てる相手ではないので、彼らはその機動力を最大限に生かし、カイゼルの足を止めることだけに専念していた。 　今度はカイゼルに打撃をかわされたハリーがナイフを投げつける。それと同時にエリックがカイゼルに飛びかかっていく。正面からエリック、横からナイフという攻撃を受けたカイゼルではあったが、剣でナイフを払い落とし、身体をひねることでエリックの打ち込みをかわした。 　「実に良い攻撃だ。だが、今はお前たちの相手をしている暇はないっ！」 　そう言うとカイゼルは二人の少年を無視してソフィアのところに向かって走り出した。エリックによる正面からの打ち込みを後ろにかわしたカイゼルの正面には、もはやソフィアがいるだけだったのだ。 　「し、しまった！」 　攻撃をかわされたエリックが叫んだ。だが、二人の少年にはもうカイゼルに追いつく術がなかった。 　カイゼルは目の前に迫ったソフィアに対して剣を振り下ろす。だが、そこに一つの影が飛び込んできてその剣を受け止めた。 　「やっと出てきたか、レオンハルト！」 　カイゼルの剣の下には不敵な笑みを浮かべてその剣を受け止めているレオンハルトの姿があった。だが、レオンハルトの意識はカイゼルを無視してその先にいる二人の少年たちに向けられていた。 　「ハリー、エリック、よく頑張った。お前たちは俺が教えた以上に成長していたようだな。これでこの戦い、勝てるかもしれんぞ。」 　「何だと？」 　カイゼルは最初、レオンハルトの言った意味が分からなかったが、すぐに状況を理解し、顔色が変わった。 　「そうさ、カイゼル。これでソフィアの呪文詠唱が終わるんだ。」 　レオンハルトの背後で強い光が発生する。カイゼルは慌てて剣を引き、後ろに飛びのいた。この光の強さから前回受けた魔法以上のものであることはカイゼルにも分かった。だが、この至近距離ではもはや彼が持つ魔剣の力を信じるしか手がなかった。 　レオンハルトを飛び越えて自分に向かってくる巨大な光の球。カイゼルはその球を剣で切りつけた。その瞬間、カイゼルの魔剣が激しく輝き始め、光の球の大きさが次第に小さくなっていく。魔剣が魔力を吸収しているのだ。 　カイゼルは勝利を確信しかけたが、まさにその時、予想もしていなかった現象が発生した。彼の手に持っている魔剣が激しく振動を始めたのである。 　「こ、これは一体！」 　カイゼルは剣を落とさないよう両手で支える。だが、振動はさらに激しさを増す。ソフィアが放った攻撃は魔剣がもともと持っていた魔力を吸収できる限界量を超える魔力を使った魔法だったのである。カイゼルはこのままでは剣がもたないと判断、空中で光球とぶつかって止まっている剣を力まかせに地面まで振り下ろした。 　振り下ろされた魔剣は激しく地面をえぐり、また剣自体にもいくつかの亀裂をいれる結果となった。その瞬間、剣に生じた亀裂からそれまでに吸収していた魔力が一気に噴き出す。噴き出した魔力はものすごい勢いで四方八方に拡散していく。そのいくつかは周囲の岩や木にぶつかり、その対象を完全に破壊した。 　その破壊された岩の一つに、今朝レオンハルトが当たりをつけていた岩も含まれていた。そして崩れ去った岩の向こうに洞窟があるのをレオンハルトは見逃さなかった。 　レオンハルトは即座にその洞窟に向かって駆け出した。そこに洞窟があるのを予測していたレオンハルトに対してカイゼルの動作は確実に後手を踏んだ。カイゼルはレオンハルトの駆け出した先に何かあるのかを推測するのにわずかながら時間を要した。 　「まさかっ、あの洞窟に魔剣アークが！」 　崩れた岩の奥に出現した洞窟はおよそ１００年ぶりに外の空気を吸った。そして今、伝説の魔剣が１００年に渡る長き眠りから覚めようとしていた…。