第三話　竜と共にある者 　ウクリの村は暖かな朝の陽射しに包まれていた。ここはウクリの村はずれにある岩場である。黄金色の髪を持つ剣士、レオンハルト・バークスティーンと彼より剣術を学んでいる二人の少年は今朝もこの岩場で剣の修行を続けていた。 　多くの戦いにおいて足元が平坦であるということは一般的には考えられない。戦いを有利に進めるに必要なこととして、常に相手を不利な位置へと追い込むことが重要な戦術の一つとなっているため、万が一そういう状況に追い込まれた時にも対処できるよう、こうした足元が不安定な場所での修行というのはより実践的な訓練であると言えた。 　レオンハルトが修行の場所をこの岩場に変更したのはつい先日のことで、その理由は先に述べたように不安定な足場における剣術の修行のためとなっているが、あくまでそれは表向きの理由であり、その真の目的は彼が長らく探し続けている伝説の魔剣「アーク」がこの岩場近くにあるのではないかという予測が立ったためであった。 　彼はこの村に戻ってきてから毎日のように村中を歩き回って「アーク」が存在する可能性のあるポイントを確認していた。彼が当たりをつけた他のポイントはすべて調査が終わっており、残るポイントはこの岩場だけとなっていたのだ。 　「あとはこの岩場だけなんだがな…。」 　「やぁーっ！」 　レオンハルトがほんの一瞬考え込んだ隙をついてハリーが飛びかかってきた。レオンハルトの教え方によるものなのか、二人の少年はレオンハルトが考え込んでいる瞬間を見抜く能力だけは他の技能に比べて著しく向上しているようであった。 　もちろん、相変わらず身体のサイズとは不釣合いな大きい剣を振り回しているため、打ち込みの速度はそれほど速くなく、今回の攻撃もレオンハルトはあっさりと剣で受け止めてしまった。 　もっとも以前なら軽々と弾き返せていた剣を今では受け止めねばならなくなっているので、少年たちの技量も多少は向上しているようであったが。 　「お前ら、隙を突く能力だけは向上しているな…。どういう修行をしたらその能力だけが向上するんだ？」 　「それはレオン兄ちゃんの教え方が悪いだけだよー。な、エリック。」 　「そうだよ。お兄ちゃんはせこい攻撃ばかり練習させるんだから…。」 　「…あのなぁ。」 　三人は大きな声で笑い出した。これが戦いのためでなく単なる競技などであるならばどんなにいいだろうか…レオンハルトはそう思わずにはいられなかった。 　もっとも分厚い鋼の剣というものは競技に使うものとしてはいささか血生臭いものではあったが…。 　その後、修行の終わった少年たち二人は村へと帰っていったが、レオンハルトは一人この岩場に残っていた。もちろん、魔剣調査のためである。 　レオンハルトはいつくかの岩を飛び移りながら可能性のありそうなポイントを探っていく。彼の予想では魔剣は土の中に埋もれているのではなく、おそらく洞窟などの中に入れて入口を塞いているであろうと考えていたので、岩盤の崩れやすそうな場所を重要なポイントとして調査を行なっていたのである。 　「今日も精が出るわね、レオンハルト。探し物は見つかりそう？」 　岩場を飛び回っているレオンハルトにそう声をかけたのは、この村に住む唯一の魔道士である女性、ソフィア・ローレンスであった。 　「さぁ、どうだろうな。それをさっさと見つけてこの村から持って出れば、ここが帝国軍に襲われることもなくなるだろうから、俺としても早く見つけてしまいたいんだがな。」 　「ふふっ、何だか村のためにって言っているように聞こえるけど、本当は個人的に欲しいだけなんでしょ？」 　「…相変わらず言いたいことをはっきり言うやつだな、お前って。」 　「そうよ。私はレオンハルトに対して遠慮なんて絶対にしないから。」 　「言ってろ。」 　二人はしばらくお互いの顔を見つめていたが、やがて大きな声を笑い出した。レオンハルトとソフィアは幼なじみであり、子供の頃はよく村の近くを走り回ったりしていた仲であった。そういう間柄ということもあって、村に帰ってきたレオンハルトに対して小言を言うのは彼女の仕事になっていたのだ。 　もっとも、幼なじみと言ってもソフィアがこの村の生まれであるのに対し、レオンハルトは子供の頃にこの村へ連れてこられたので、その頃からの幼なじみということになるのだが。この村は彼の育ての親でもある剣術の師・スレイの生まれ故郷だったのである。 　ひとしきり笑った後、しばらく口を閉ざしていたレオンハルトであったが、少し考えた末に目の前にある岩を指差して次のように言った。 　「ソフィア、悪いがここの岩を魔法で吹き飛ばしてみてくれないか？」 　「…レオンハルト。大変なことをずいぶんと簡単そうに言ってくれるじゃないの。」 　「それくらいは分かっているさ。それを承知でお願いしているんだよ。」 　「…もう、仕方ないわね。駄目って言っても無理矢理やらせるつもりなんでしょ？」 　「まぁ、な。」 　レオンハルトは無邪気な子供のような笑顔を作ってみせた。ソフィアにしてもレオンハルトのことは子供の頃からよく知っているので、そう言うところは何年たっても全然変わらないわね、と内心でつぶやき、呪文の詠唱に入る準備を始めた。 　レオンハルトに指示された岩は、その高さがレオンハルトの身長ほどあり、厚みは土手に隠れて完全に把握することはできなかったが、おそらくその高さと同じ程度はあるだろうと推測できた。 　この規模の岩を一撃で破砕できる魔法となるとかなり上級な部類に入る。ソフィアにとっては自らの能力の限界に近い魔法となる可能性があった。果たして自分は過去にそんな強力な魔法を使ったことがあるだろうか…ソフィアはそう思いながら精神集中を始める。 　魔法と言うものは単に呪文を唱えることができれば使えるというものではない。基本は自分の精神力を実世界に働きかけられるエネルギーに変換することで、呪文と唱えるという行為はあくまでそれを実現するための補助に過ぎなかった。 　よって自分が持つ精神力以上の魔法を使おうとすると、自らの精神力を消耗し切って最悪の場合はそのまま死に至る、もしくはそこまで行かなくとも廃人となってしまうことが十分に考えられた。実際、ソフィアは過去にそうして命を落とした魔道士を数多く見てきた。 　ゆえに魔道士には常に自分の精神力を把握し、その範囲で使用できる魔法を適切に選択して使う判断力が要求されるのである。それがないものは遠からず命を落としてしまうことになるだろう。その点、ソフィアは自分の能力を熟知し、それを過信することなくこれまで無事にやってきたのだ。 　なので今回も決して無茶なことはしない、もし仮に岩を完全に破砕することができなくても、そのことを責めるレオンハルトではないことも彼女は知っていたから。今は自分にできる精一杯をやってみる。 　ソフィアがそう決心したまさにその時、激しい振動が二人を襲った。それと同時に村の方から多数の悲鳴があがる。 　「ちっ、ついに来やがったか。」 　そう吐き捨てるとレオンハルトは岩から飛び降り、ソフィアの精神集中を中断させてから村に向かって走り出した。ソフィアも走り去って行くレオンハルトを見つけ、慌ててその後を追いかけていく。 　「レオン、来たってまさか。」 　「そうさ、帝国軍だ。まぁ、俺が予想していたよりは遅かったがな。」 　そう言うとレオンハルトは上着のポケットに左手を突っ込み、中に入っていた小さな金属製の小物を取り出し、ソフィアに向かって投げた。 　ソフィアは走りながらそれを受け取り、手の中にある金属の小物を見る。それは小さな鍵であった。 　「…レオン、これは一体何の鍵？」 　「村にある武器庫の鍵さ、例のものを取ってきて欲しいんだ。」 　「例のものって…あの二本のこと？」 　「そうだ、そろそろ出してもいいだろうと思ってな。ソフィア、頼んだぜ。」 　「でも、まだ早いんじゃ…。」 　「いや、大丈夫だよ。それに今回は前回ほどの余裕はなさそうだからな。」 　「…分かったわ、レオン。」 　レオンハルトはソフィアと別れて多くの悲鳴があがっている方角、村の南側に位置している広場へと向かって走り続けた。 　　・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 　村の平穏だった朝の風景は一転して恐怖が支配する空間へと変わっていた。帝国軍は皇帝がル・アークに変わってから以前ほど不必要な殺戮は行なわなくなったが、それでも邪魔と思われる者に対しては決して容赦しなかった。 　そういう意味では帝国軍に襲われた村が取る対応は二つしかなかった。徹底的に抗戦して滅びの道を歩むか、村を放棄して逃げ出すか、である。 　レオンハルトにしても村人を危険にさらすわけにはいかないので、広場へ向かう途中ですれ違う村人を見つけては早急に村から離れるように指示を出していた。 　こうして広場から逃げ出そうとする村人をかき分けながらようやく広場へと到着したレオンハルトは、そこで想像もしていなかったものを見ることとなる。 　そこにいたのは帝国軍の将軍であるカイゼル・フォルディであった。もっともそのこと自体はレオンハルトの予想の範囲内にあり特に驚くほどのことでもなかったのだが、その後ろにいるものを見た時、レオンハルトは思わず言葉をなくしてしまった。 　そこにいたのは巨大な翼を持った大きなトカゲのような生物であった…その大きさはカイゼルを乗せてもまだまだ余裕のあるサイズであり、その全身を覆っている鱗は鮮やかな紅色であった。 　これまで大陸の各地を遊歴して多くの経験や知識を得てきたレオンハルトではあったが、この姿をした生物を表す名前はただの一つしか知らなかった。その名は…ドラゴン。 　「まさか、生きている間にこいつを実際に見ることになろうとは…。」 　レオンハルトは広場への入口で足を止め、静かにそうつぶやいた。帝国軍の力の象徴でもある竜騎士…その竜騎士という名の由来はまさにこのドラゴンの存在によるものが大きかった。もちろん、このような生物はこれまでのサートゥリア大陸には存在していなかった。噂では大陸最強の魔道士である帝国皇帝ル・アークが異世界より召喚したのだと言われている。またその能力は並の騎士や魔道士ではまったく歯が立たないほど高く、ドラゴンが一頭いれば数百人規模の騎士団の戦力に相当するとも伝えられていた。 　そして、その強大な力を持ったドラゴンすら従えることができる者…それを人は竜騎士と呼ぶのである。今、帝国軍の将軍であるカイゼル・フォルディがドラゴンを背後に従えて立っている…そのことが意味するもののは、カイゼルが新たな竜騎士になったということを示しているに他ならない。 　「くそっ、ただの将軍でいる時でさえ手強かったのに、今度は竜騎士様かよ…。」 　レオンハルトはそう毒づいた。竜騎士となるためにはそれなりの修行が必要なはずで、そうなるとカイゼルの実力は以前のものとは比べ物にならないほど高くなっている可能性があったのだ。 　幸いなことにカイゼルはこのドラゴンを今回の攻撃に参加させるつもりはないようで、真紅のドラゴンは広場の周囲に広がっている森の中からこの広場の様子をじっと眺めているだけであった。 　ただ、ドラゴンこそ攻撃には参加しないが、カイゼルの後方には何人もの剣士が控えているようで、その数はざっと数えるだけで数十人にのぼった。これはたった一つの村を攻撃するのには十分な戦力であり、いかにカイゼルがこの作戦に必勝を期しているかを物語っていた。 　「…まずいな、ドラゴンがいなくてもこいつはかなり厳しい戦いになるな。帝国軍の連中め、よほどあれが欲しいと見える…。」 　レオンハルトは自分の予想を遥かに上回る敵の戦力に辟易したが、帝国軍としては戦力を小出しにして戦況を長引かせるよりは現在派遣できる戦力をすべて送り込み、早急に決着をつけるつもりだったのだろう。 　ただ、昨今頻繁に発生している隣国プロシオン王国との戦いに備えるため、ドラゴンを除けば圧倒的と言えるほどの戦力が投入できていないのは明らかであった。逆にその戦力不足を補うために、カイゼルが竜騎士となってドラゴンを従えてきたのかもしれない…レオンハルトはそう考えていた。もっとも、ドラゴンがいなかったとしてもこの村一つを滅ぼすのに十分な戦力であることは間違いなかったが…。 　「レオン兄ちゃん！」 　その時、レオンハルトの耳に聞き慣れた声が飛び込んできた。ハリーとエリックの少年二人が広場に駆けつけてきたのである。 　「ハリー、エリック、お前たちは下がっていろ。あいつら、どうやら本気でこの村を消し去るつもりらしいぞ。」 　「そ、そんな…。」 　「お前たちは早く村人を連れて岩場の方へ避難しろ。」 　「えっ、そ、それじゃあ、レオン兄ちゃんは？」 　「へっ、心配すんなって。俺様がこれくらいの敵にやられるとでも思っているのか？」 　レオンハルトはハリーとエリックにこれまで見せたことのないような笑顔を見せてそう答えた。二人の少年はその顔に安心したのか、村人を誘導するために村の中へと駆け出していった。 　そして少年たちが村の中へと消えていくのを確認したレオンハルトは再びカイゼルの方に向き直る。先ほどまでの優しい笑顔は消え、非常に厳しい表情に変わっていた。 　「さて…、そうは言ったものの、この状況から生き残るのは至難の業かもしれんな。」 　レオンハルトは腰に下げた剣に手をかけてそうつぶやいた。戦力比は人間の数だけを見ても一対二十以上であり、さらに向こうは帝国軍の力の象徴とも言える竜騎士を擁しているのだ。レオンハルトにとってはこれまででもっとも不利な状況での戦いとなることは間違いなさそうである。 　そしてその様子を広場の外からじっと見つめる一頭の真紅のドラゴン。果てして彼の眼には異世界の人間たちの戦いはどのように映っているのであろうか。 　単なる小さな生物の戯言として見ているだけなのか、それとも人間の本当の力を吟味しているのであろうか…いずれ来るかもしれないその時に備えて。だが、それは人間たちには決して知ることのできない領域の話であった…。