プロローグ 　時はサートゥリア暦２５３年…。 　とある山奥の寂れた洞窟に入っていく男の姿があった…。男は全身に深い傷をおっており、その内のいくつかは明らかに致命傷であると思われた。呼吸もかなり不規則で彼の命がそう長くはないのは想像に難くなかった。 　そしてそこからわずかの距離をおいてこの男を追ってくる集団があった。その数は十数人にのぼり、すでに洞窟を視界に捉えられる場所までやってきている。ただ、彼らの目的は男の命ではなく、彼が持っている１本の剣であった。 　男の持つ剣は、一般には「シャムシール」と呼ばれる種類のもので、例えるならば日本刀のような片刃の剣である。「ソード」と呼ばれる相手をその重量で叩き斬る剣とは基本的に異なり、相手を斬り裂くことで最大の威力を発揮する剣であった。 　「あの洞窟だ。逃がすなっ！」 　集団を指揮している男がそう叫ぶと同時に二、三人の男が洞窟に入っていく。だが、しばらくして洞窟から出てきたのは彼らの求める剣ではなく、中に入っていった男たちの断末魔の絶叫であった。 　男たちはさすがにひるんだ。彼らは今になって気づいたのだ。自分たちの追っている男が並外れたの技量の持ち主であることを…。 　追跡者が躊躇している間にも、傷ついた男は洞窟の奥へと向かっていた。その歩みは非常に遅かったが、その眼光には一片の陰りも見られなかった。 　男が洞窟の最奥部に着いたのと、追跡者たちが意を決して洞窟への突入を開始したのはほとんど同時であっただろうか。 　洞窟の男には、洞窟内を伝わってくる追跡者たちの声が、次第に大きくなってくることで、彼らが間もなくやってくることを悟った。そしてその瞬間にはすでにとるべき行動に移っていた。男は手に持っていた剣を地面に突き刺すと、聞き慣れぬ呪文を唱え始めた…。そう、彼は剣だけでなく魔法も使うことができたのだ。それも剣術と同じく並外れた技量で…。 　洞窟内を進む追跡者たちが、足元の揺れを感じたのはその直後であった。始めは小さな縦揺れであったのだが、彼ら全員がそれに気付く頃には、すでに激しい横揺れに変わり、その場に立っていることすらできない状態となっていた。 　長時間に渡る激しい揺れは、ついに洞窟の壁面に無数の亀裂を入れ始めた。天井の岩盤が崩れ、追跡者の頭上に落ちてくる。巨大な岩の下敷きになっていく男たちの絶叫は、岩盤の落下による豪音でかき消されていった。 　全ての追跡者が岩の下敷きになり息絶えた頃、それを引き起こした強力な魔法戦士も死への至近距離にいた。 　「これで私の…任務は達成…できたな。…すまぬ、我が…息子…よ…もう二度と…会うことは…。」 　間もなく洞窟は、男と追跡者たち、そして１本の剣と共に、崩れ去っていった…。剣術を極めんとする者が一度はこの手にと思う伝説の魔剣「アーク」は、こうして歴史の表舞台から一時姿を消すこととなった。

第一話　賞金首の男 　時は流れてサートゥリア暦３６３年。ここは少し先ある小さな村を一望できる小高い丘である。約二十年ほど前、この地はかつて大陸でも有数の国家として知られたアドランディア王国の領地であったが、現在ここに国家の旗は立っておらず、無数の小さな村が点在しているのみであった。 　今、その丘に一人の男が立っていた。すらりと伸びた長身に輝く黄金色の長く伸ばした頭髪が印象的な男であったが、何よりその男を印象づけているのは眉間にある切り傷であったかもしれない。男は剣を腰から下げているので、おそらくその傷も戦いの最中についたものだと思われる。傷自体はそれほど大きなものではない、ただ男が頻繁にその傷を左手の親指で触っているので、非常に印象に残ってしまうのである。 　「ここに帰ってくるのも七年ぶりか…まさか、あれがこの村にあるとは思ってもいなかったぜ。」 　そう言うと男は眼下に見える村に向かって歩き始めた。 　　・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 　ちょうどその頃、男が向かっていたその小さな村では一つの事件が起こっていた。突如、数名の男たちによる襲撃を受けていたのである。 　「無駄な抵抗はやめろ。おとなしくこの村を明け渡せば命までは取らぬ。」 　「何勝手なことを言ってるのよ！村を追われた人たちはこれからどうやって生きていけばいいの！」 　筋肉質の大男の脅迫に毅然と立ち向かっていたのは一人の若い女性であった。 　「そうだ、お姉ちゃんの言うとおりだ。お前たちなんかさっさといなくなれよ！」 　「いなくなれー！」 　女性の前に立ちふさがるように二人の少年が立っていた。その両手には身体のサイズからは少し不釣合いな剣を握りしめて…。 　「小僧が二人に女が一人か…それで一体何ができると言うのだ。」 　男は不敵な笑みを浮かべながらそう言った。しかし対する女性にまったく躊躇する様子は見えなかった。それどころか明らかに目の前の敵と対決しようとする強い意思すら感じることができた。 　「…ハリー、エリック、お願いね。」 　「うん。まかせて、お姉ちゃん。」 　二人の少年にそう言うと彼女は呪文を唱え始めた。彼女は魔道士だったのである。魔法の発動には並外れた精神集中が必要であり、その間魔道士は完全に無防備な状態となる。そこを狙われればいかに強大な力を持っている魔道士と言えども一瞬にして命を落としてしまうだろう。そうならないために魔道士は「ガード」と呼ばれる護衛を複数つけることが常であった。この場面ではハリーとエリックという名の二人の少年がそれに相当するのであろう。 　「ちっ、あの女…魔道士だったのか。魔法を発動されると面倒だ。呪文を詠唱している今のうちに倒してしまえ！」 　筋肉質の大男が小さく舌打ちしてそう言うと、その両側に控えていた二人の男が魔道士に向かって駆け出していく。 　「エリック、しっかりやれよ！」 　「分かってるよ、ハリー！」 　二人の少年は剣を前に構える。しかしながら身体に合ったとは言えないサイズの剣では効果的な打撃は望めそうもなかった。実際、剣自体の重さを支えきれていないのか、実戦の経験の少なさから来る緊張によるものか、その剣先はかすかに震えていた。 　「ガキどもに何ができるっ！」 　「あぁっ！」 　「ハリーッ！」 　向かってきた男の放った剣撃でわずかに前方にいた少年ハリーは吹き飛ばされた。しかしながらもう一人の少年エリックもそちらに構っていられる状況ではなかった。もう一人の男が目の前に迫っていたのである。 　「お前もそこをどけーっ！」 　「あぁーっ！」 　エリックもハリー同様、なす術なく向かってきた男に弾き飛ばされてしまった。両者の体格の違いだけでもこの結果は容易に想像できた。こうしてついに呪文を詠唱している彼女を守る者は誰もいなくなった。彼女は完全な精神集中状態に入っており、前で何が起こっているのかをいまだ知ることができずにいた。 　彼女に向かっていた二人の男は勝利を確信した。だが、彼らは彼女の直前で何か見えない壁にぶつかったかのように弾き飛ばされることとなる。 　「なっ、何が起こった！」 　弾き飛ばされた男たちは壁のようなものがあった場所を見た、そこにいたのは黄金色の髪を持つ一人の男であった。 　「ハリー、エリック…そんなことじゃ一人前のガードにはなれんぞ。」 　「レ、レオンのお兄ちゃん！」 　まさにその時、魔道士の目が開き魔法が発動した。何本もの光の矢が発生し、三人の男たちに向かって即座に放たれた。 　この魔道士を狙っていた二人の男はあまりにも至近距離にいたため、この矢を回避することができず、複数の直撃を受けてそのまま絶命した。 　残った矢は彼らのリーダー格であると思われる筋肉質の男にも向かっていったが、この男はまったく慌てることもなく背中に背負っていた大剣を引き抜いて一閃した。その男まであと少しのところへ迫っていた光の矢は、まるでその風圧で吹き消されたかのように姿を消した。男の大剣はまるで光の矢のエネルギーを吸収したかのように、ほのかに光を放っていた。 　それを見て驚く魔道士を横目に少年たちからレオンと呼ばれた男は静かにつぶやいた。 　「…なるほど、あんたの剣は魔剣ってわけか。」 　「そうだ。今のような低級な魔法ごときを打ち消すのは造作もないわ。だが、こんなところで会えるとは思ってもいなかったぞ、レオンハルト・バークスティーンよ。」 　「ふん、帝国随一の猛将たるカイゼル将軍に名前を覚えていただけているとは光栄だぜ。」 　「忘れるわけがなかろう、きさまは我が帝国最高の賞金首なのだからな。」 　しばらく二人の会話を聞いていた魔道士がそこへ割り込んだ。 　「レオン、本当にレオンハルト…なの？」 　「あぁ、久しぶりだなぁ、ソフィア。」 　「…ふふっ、感動の再会ってわけか、レオンハルト。だが残念だな、それはそのまま悲しみの別れへと変わっていくことになる…この俺の手によってな。」 　「ほざけっ！」 　レオンハルトは剣を構える。彼の実力もかなりのものではあったが、相手は剣術において帝国最高の技能を持つと言われるカイゼル・フォルディ将軍である。レオンハルト一人の力では相討ちに持ち込むのが精一杯だと思われた。しかし、この時点において彼は一人ではなかった。 　「ソフィア、もう一度魔法だ！お前が今使える最高のものを出せっ！多少時間がかかっても構わん、俺が守りきってやる。」 　「…分かったわ、レオン。」 　そう言うとソフィアは再び呪文の詠唱を始めるために精神集中に入った。この状況になると帝国の猛将たるカイゼルと言えども取る道は二つしかない。すぐさま彼らの前から逃げ出すか、それとも魔法が発動する前にレオンハルトの背後にいるソフィアを倒すか、である。 　そして猛将としてその名を知られるカイゼルに前者の解答はあり得なかった。大剣を構えてソフィアに突進する。その間にはレオンハルトが剣を構えて立ちふさがる。 　「どけぃ、レオンハルト！」 　「ふんっ、俺様を誰だと思っている。どけと言われて素直にどくような人間だとでも思っているのかっ！」 　二人の剣がぶつかり火花を散らす。カイゼルの剣圧で一瞬剣を弾かれかけたレオンハルトであったが、すぐさま体勢を立て直してカイゼルと対峙した。 　「…帝国の猛将がこんな辺境の村に何の用があるんだ？」 　「きさまには知る必要のないことだっ！ふん、時間稼ぎをしようとしても無駄なことだぞ、レオンハルトよ。」 　「ちっ、さすがにこんな手には引っかからねぇか。」 　「当然だ、きさまの考えそうなことなどすぐに分かるわ。」 　時間稼ぎができないとなると、レオンハルトには少し分の悪い戦いとなることが予想された。いかにレオンハルトの剣技が優れていたとしても、両者の体格的にも長時間の戦いとなれば不利な状況になることは免れない。 　「…さて、どうしたもんかねぇ。」 　レオンハルトは左手の親指で眉間の傷を擦りながらそう言った。そこへカイゼルの討ち込みが来る。カイゼルとしてはレオンハルトに小細工を考える時間を与えるつもりなど毛頭なかったのである。 　レオンハルトはかろうじて剣で討ち込みをかわしたが、その反動で体勢を崩してしまった。だが、カイゼルはそんなレオンハルトを完全に無視して、まっすぐソフィアに向かって行く。 　「しまった！」 　「その命、もらったぁ！」 　カイゼルがソフィアに剣を振り下ろそうとしたまさにその時、カイゼルの視界に一本のナイフが飛び込んできた。すかさずカイゼルは後ろに飛び退いてナイフによる攻撃を回避した。そこへ間髪入れずにレオンハルトが飛び込んでくる。 　「でやぁぁぁぁーっ！」 　「ちぃっ！」 　カイゼルはレオンハルトの討ち込みを剣で受け止める。レオンハルトは飛び込んだ勢いも利用してカイゼルを押し出し、カイゼルをソフィアから遠ざけることに成功した。 　「…ふっ、さすがだなレオンハルト。俺の討ち込みポイントを予測して、そこへナイフを投げ込むとは。」 　「お褒めいただき光栄だぜ、カイゼル将軍。」 　「ふんっ、どうやらこれ以上ここに踏みとどまるのは危険そうだ。命拾いしたなレオンハルト、だが次に会う時はこうもうまくはいかんぞ。」 　カイゼルはそう言い捨てると、背後の森に駆け込んで姿を消した。レオンハルトにしてもカイゼルを追う気力はすでに残っていなかった。レオンハルトはソフィアの精神集中を解き、呪文の詠唱を中断させた。魔法の発動はかなりの精神疲労をともなうので、不必要な魔法の発動は避けるべきなのだ。 　「…あ、レオンハルト。…あ、あいつは？」 　「尻尾を巻いて逃げていったさ。お前のおかげさ。」 　「あいつは一体何者なの？」 　「名はカイゼル・フォルディ。剣術においては帝国最強とも言われている将軍さ。もう一人、帝国にはとんでもない奴がいるんだが、残念ながら俺はお目にかかったことがない。」 　「…で、その帝国の将軍がなぜこんな村に？」 　「やつは何も言わなかったが、大体想像はついている。おそらくまたここにやって来るぜ。」 　「そ、そんな…。一体この村に何があると言うの？」 　「今はまだ言えない。俺自身も確証が持てているわけじゃないんでな。」 　「そう言えばあいつ、あなたのことを最高の賞金首だとか言ってたけど、それって本当なの？」 　「…そうらしいな。かなり帝国軍の連中を引っかき回しちまったからな。」 　「どうしてそんな危険なことを…。帝国軍と言えば今やレムストリア王国のルーン騎士団を凌ぐ大陸最強の軍隊じゃないの。」 　「それはな…。」 　そこまで言ってレオンハルトは口を閉ざした。ソフィアの性格からして、その理由を知ると一緒に戦うと言い出すかもしれなかったからだ。レオンハルトにとって帝国とは両親、さらに剣術の師であるスレイの仇でもあるのだ。 　そして先ほど対峙したカイゼル・フォルディこそ、彼の師スレイを殺し、彼の眉間に決して消えることのない傷をつけた本人だったのである。 　サートゥリア暦３６３年、この小さな村を舞台に一本の魔剣をめぐるレオンハルトと帝国との小さな戦いが始まった。